NEWS Toggle

清里フォトアートミュージアム開館20周年記念展「原点を、永遠に。」を終えて②

清里フォトアートミュージアム 主任学芸員 山地 裕子


トーク・イベント①森山大道×内藤正敏 進行:山地裕子

トーク会場

トーク会場

展覧会初日の8月9日(土)、「原点を、永遠に。」展記念トーク・イベントの第1回目として、1995年度(初年度)ヤング・ポートフォリオの選考委員・森山大道氏と2000年度選考委員・内藤正敏氏のトークを、東京都写真美術館1階アトリエにて行った。参加者全員に、KMoPAオリジナル・ポストカードの中から森山氏の《パントマイム》と内藤氏の《トキドロレン》各一枚を差し上げた。

朝早くから整理券を求めて並ばれた方もあり、また、満席のため入場できなかった場合にも、録画映像を、次回展示の2014年度ヤング・ポートフォリオ会期中、清里フォトアートミュージアム館内で上映することをお知らせした。

開始時刻となった午後2時。70席が満席となった会場には、お二人のトークへの期待で熱気が溢れていた。

●二人の原点

森山大道氏と内藤正敏氏はともに1938年の生まれである。「原点を、永遠に。」では、歴代のヤング・ポートフォリオ選考委員の初期作品として、森山大道氏の《パントマイム》(1964年)と内藤正敏氏の《トキドロレン》(1962-63年)を展示。どちらの作品も、戦後に20代を迎えた日本を代表する25人の写真家に20代の代表作を自薦していただき、当館が収蔵し、1995年の開館記念特別展「25人の20代の写真」に出品したものである。

内藤正敏《トキドロレン》1962-63年ⒸMasatoshi Naito

内藤正敏《トキドロレン》1962-63年ⒸMasatoshi Naito

当時、《パントマイム》、《トキドロレン》を、両氏がご自身の20代を象徴する作品として、当館コレクションのためにプリントしてくださったことは、私にとっては少々予想外でもあっただけに非常に印象的だった。選考委員の初期作品の作品群の中でも異彩を放つお二人の初期作品の頃、すなわち“原点”の時期についてお話を伺った。

両氏がこのような形でトークを行うのは意外にも初めてだとのこと。しかし、出会いは50年以上前の20代半ばに遡る。森山氏は、1963年、写真家・細江英公(当館館長)の助手を辞めて、25歳でフリーランスとなり、また、内藤氏は、早稲田大学理工学部応用化学科を卒業後勤務していた倉敷レイヨンを1961年に辞めて、フリーランスとなっている。

森山氏によると、当時二人は、「VIVO」(1959年に結成された写真家によるセルフ・エージェンシー。メンバーは川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高、細江英公。1961年解散。)の暗室担当をしていた写真家・櫻井秀氏とともに “VIVO的なもの”を作りたいと、篠山紀信氏にも声をかけたが、きっぱり断られたということがあったとそうで、「今思えば、その話がボツになって良かった」というエピソードの初披露からトークはスタートした。

森山大道《パントマイム》1964年ⒸDaido Moriyama

森山大道《パントマイム》1964年ⒸDaido Moriyama

内藤氏は、森山氏が発表する前の《パントマイム》を見ている。1960年代というイデオロギーの時代にあって、コスモロジーや生命観が大転換するような作品で素晴らしいと思ったという。一方、森山氏も内藤氏が発表した《新宿幻景・キメラ》(《トキドロレン》より少し早く、1964年『アサヒカメラ』にて発表された作品)を見て、写真のテリトリーに新しいものが持ち込まれたと感じ、非常に驚いたと話す。

《パントマイム》は、森山氏がフリーになって初めて自分の意志で撮った写真で、不思議な愛着があるという。写されているのは胎児だが、鳥も、人間も、亀も胎児の形態は一緒だというのを子供心に面白いと思ったことがあり、胎児に人間の原質を見たような思いがしたそうだ。

「夜の歌舞伎町だろうが、どこだろうが、街を歩いている人が、すべて胎児に見えてくる。自分を含め、人間の原質はあれなのだ。そこから写真が始まった。」と語る。森山氏は《パントマイム》を『にっぽん劇場写真帖』(1968年)の巻末に入れ、それに対しては当時批判的な意見も多かった。

しかし、内藤氏は、「胎児は両生類。水から陸に上がるんです。さすがですよ。人間になるということ自体が劇場ですよ。」と共感。森山氏は「内藤さんと僕は、実は生命という一番下の部分で通底しているんだよね。」と50年の時を経て意気投合するお二人。

●選考委員の目

2014年度ヤング・ポートフォリオの選考委員として、7月、2日間にわたる選考会を終えたばかりの森山氏。森山氏には第一回以来20年となる選考をお願いした。

森山大道氏

森山大道氏

「1995年よりはバリエーションもポテンシャルも強くなっていとる。観念的だとか、作り込み過ぎなどと言っている場合ではない、こんなに自由にやっていて、こんなにもみんなが「写真」にこだわっているということに驚いた。これだけさまざまな量と広がりを見せられると何でも面白ければ良いと思う。」と言う。

「原点を、永遠に。」では約500点のうちの半数が日本人、残りが海外の作家による作品とした。海外での個展も多い森山氏に、海外から見た日本の写真について、その印象を尋ねてみると「安井仲治をはじめ、昔から、実験的なものを含めて、日本の写真家の表現はものすごく成熟していると、僕は確信的に思っている。海外の作品はまず言葉ありき、理詰めで作っていく場合が多いが、日本人の感性はフレキシブルだと思うし、もともとそういう資質がある。」と言う。実際に、「原点を、永遠に。」展をご覧になって、日本人の作品の方が直感的な感覚が強いと感じられた方は多いのではないだろうか。日本では、さまざまな写真が生まれては否定され、また激動する時代の動きに呼応しながら変化して来た。やがて、その変容を受け入れる鷹揚さ、寛容さを身につけた日本の写真が、自信をもって今後さらに突き進むことに期待したい。

内藤正敏氏

内藤正敏氏

選考委員として応募者に最も伝えたいこととは何だろうか。「もう一人の自分が客観的に冷静に自分を見ること。そして、世界の動きを見ること、突っ走ること。自分自身で“あるレベル”を超えること。」これらがお二人に共通した言葉である。

森山氏が、選考時に大切にしている感覚は、「そのときの自分にインパクトを与えてくれるかどうか。」具体的には「ここまでやるのか」という執拗さ、自分にできないことをやっていることに対する瞬間的な嫉妬であり、その作家の生き方はもちろん、何を考えてこのようなものを撮るのかとさえ思わせてくれる作品を選ぶという。そして、どんな写真であってもリアリティがあるものと言う。一方、内藤氏は、「良い写真というのは、(写真群の中から)浮いてくるような感じがある。美しいもの、マッチョなもの、目に飛び込んでくるもの、写真に限らずアートというのはそういうもの。」さらに、「良い写真は、本人の意識を超えるもの。」という言葉も印象的だった。良い写真は、作者の意識などいとも簡単に超えてくる。」という。作品を作る場合、「文字にすると観念的になってしまうから、本能的な直感とスピードが必要となる。しかも、こちらから偶然を仕掛けていかないと見えて来ない。」内藤氏自身の場合は、とにかく自分を否定することに原点があるという。撮っているときは完璧だと思っているが、完成すればするほど面白くなくなるのだから、毎回自分を全面否定して、新しいことに向かって行く。しかも、量的にも質的にも過去を超えないと次のレベルには行かない。偶然性をいかに写すか、テクニックも必要となる。それはまさに、写真家に必要な技量であり、作家の本質なのだろう。_MG_5890 のコピー

お二人には、「原点を、永遠に。」展をゆっくりご覧いただいた。その意義について森山氏は、「作品を購入することで若者を支援し、収蔵することで文化の遺産として残す。まさにその言葉に尽きますね。ヤング・ポートフォリオを20年間継続して来たことで、現在活躍している多くの作家たちの原点がここにあったことがわかる。それだけ若い作家を育てたということで、その力の有り様の凄さ、作品のバリエーション、インパクトは凄い。」と、ここでもヤング・ポートフォリオの幅の広さを評価された。

握手を交わす森山大道氏と細江館長

握手を交わす森山大道氏と細江館長

ヤング・ポートフォリオは=若い作家の作品、と一言でくくることは難しい。20年間のこのコレクションは、国の枠を超えた表現者の原点の集積であり、深く広い写真の領域をも持つものとして提示できたのではないだろうか。私たちは、これからもヤング・ポートフォリオを続けて行くにあたり、改めて彼等のポテンシャルを第一に考え、ご覧になる方々にも温かい目で見守っていただきたいと思っている。

ShutDown