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K・MoPA開館20周年記念展「未来への遺産:写真報道の理念に捧ぐ」

Legacy for the Future: Dedicated to the Ideals of Photojournalism

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会期:2015年7月1日(水)~9月30日(水)

協  力:マグナム・フォト東京支社

後  援:公益社団法人日本写真協会、公益社団法人日本写真家協会、山梨県教育委員会、北杜市教育委員会

休  館 日: 7・8月は無休、毎週火曜日(ただし 9/22は開館)

 

 

 

■本展覧会について

初めて展覧会の行われたニューヨークのリバーサイド・ミュージアム。ケルテス作品の展示風景、1967年 ⒸEstate of André Kertész, New York, 2015

初めて展覧会の行われたニューヨークのリバーサイド・ミュージアム。ケルテス作品の展示風景、1967年
ⒸEstate of André Kertész, New York, 2015

<1967・68年、ニューヨーク・東京>

本展覧会は、1967年ニューヨークを皮切りに、東京をはじめ世界各地を巡回した展覧会“The Concerned Photographer”がベースとなっています。アンドレ・ケルテス、デイヴィッド・シーモア、ロバート・キャパ、ワーナー・ビショフ、ダン・ワイナー、レナード・フリードら6人の作品によるもので、当館のコレクションより全161点を初めて公開いたします。 “The Concerned Photographer” は、日本では1968年「時代の目撃者 ― コンサーンド・フォトグラファー」と題して展示され、 大きな話題となりました。

 

 

 

 

写真集“The Concerned Photographer”表紙 (Grossman Publishers, New York, 1968)

写真集“The Concerned Photographer”表紙
(Grossman Publishers, New York, 1968)

 

写真報道のパイオニアたち>

20世紀前半、テレビが普及する以前に世界の情報を得る手段といえば、圧倒的に写真雑誌でした。そして、機動性の良い小型カメラも出始め、写真家は、広く取材・撮影をすることができるようになりました。しかし、写真家の視点を強く主張する作品を発表できるようになるまでには、長い闘いの時代がありました。本展は、写真によって「自分は世界をこう見た」と表現する意志を貫き、地球を駆け巡ったフォトジャーナリストのパイオニアたちの作品を展示するものです。

パリ・ニューヨークを舞台に独自の写真表現を貫いたアンドレ・ケルテスは、後進のフォトジャーナリストに門戸を開き、特に1930年代のパリで、若きロバート・キャパを支えました。ワーナー・ビショフは、スイスを出て世界各地の人々の暮らしを、ロバート・キャパは5度の戦争を、デイヴィッド・シーモアは、キャパやカルティエ=ブレッソンらと写真家集団「マグナム・フォト」を創設、ダン・ワイナーは南アフリカなどで社会的な意識の高い写真を、そして若きレナード・フリードは、ニューヨークのユダヤ系社会の撮影からキャリアを出発させました。

当時の雑誌編集者は、絶対的な主導権を持ち、写真家の意図に反して写真がトリミングされたり、キャプションが変えられるなど、写真は、いわば文章に添える挿画に留まっていたのです。そこで、写真家の権利を守るため、ロバート・キャパらが1947年に設立したのが、今も存続する写真家集団「マグナム・フォト」でした。本展の6人の写真家のうち、4人(シーモア、キャパ、ビショフ、フリード)がマグナム・フォトに所属しています。私たちが今日違和感なく目にしている写真表現は、彼らが時代を切り開き、 闘ったことにより生まれて来たものなのです。

 

写真報道?報道写真?>

写真による報道、すなわちフォトジャーナリズムという言葉は、ジャーナル=日々の出来事を記すという言葉から生まれています。6人の写真家は、センセーショナルな物事に限らず、日常の営みの中にこそ見える人間性や、社会の少数派が正義と平等を求めるささやかな闘いに心を寄せ、その土地の特徴的な暮らしに寄り添いながら撮影することを道と考えた写真家たちでした。6人のうちの4人(シーモア、キャパ、ビショフ、ワイナー)が取材中に落命したという事実は、当時の撮影が決して容易ではなかったことを表しています。

私たちは、本展において、あえてあまり馴染みのない「写真報道」という言葉を用いることによって、報道写真やフォトジャーナリズムという言葉の持つ印象から少し離れたいと考えました。撮影の対象が、戦争であれ、自然であれ、日常生活であれ、写真家自身が、人間が生きることの真価を力強く表現した写真を撮ること。それを、私たちは写真報道の理念と表現しました。

 

未来への遺産>

彼らの遺した歴史的記録と、独自の視点と才能によって写真を 「社会と関わる芸術」に高めた作品群が、死後に遺失することを防ぐため、ロバート・キャパの実弟、コーネル・キャパは1967年、本展をニューヨークにて開催し、写真集を出版しました。その後、展覧会は、世界各地を巡回しています。そして、1968年にオランダで印刷された写真集“The Concerned Photographer”の、印刷原稿として使用されたプリントが、1997年にまとまった形で発見されました。当館は、それら全161点を収蔵し、保存しています。

写真史上に記され、人々の記憶に留められてきたこれらの写真。人類は、今世紀も、人種間の対立や差別、自然災害など複雑な問題を抱えています。さまざまな問題の本質に、勇気を持って立ち向かい、伝えようと取り組んでいる若い写真家たちにこそ、これらの写真に触れてほしい。そこに新たな胎動が生まれることを期待しています。さらに本年は、第二次世界大戦の終結から70年。戦争とは何かという問いに、私たちは今後も向き合わなければなりません。写真家にはどのような仕事ができるのか、写真にはどんな力があるのか、そして、美術館として写真と写真家をどう支えていくのか。K’MoPAの使命は、これらの写真を公開し、未来への遺産として次世代へつないで行くことと考えています。そのために、K’MoPAの開館20周年記念展として、今ふたたびこの展覧会を世に問いたいと思います。

 

アンドレ・ケルテス《アコーディオン弾き、ハンガリー》1916年 ⒸEstate of André Kertész, New York, 2015

アンドレ・ケルテス《アコーディオン弾き、ハンガリー》1916年 ⒸEstate of André Kertész, New York, 2015

 

 

 

 

 

 

 

 

アンドレ・ケルテス《マグダ、パリ》1926年 ⒸEstate of André Kertész, New York, 2015

アンドレ・ケルテス《マグダ、パリ》1926年 ⒸEstate of André Kertész, New York, 2015

ロバート・キャパ《フランス》1944年 © Robert Capa / International Center of Photography / Magnum Photos

ロバート・キャパ《フランス》1944年 © Robert Capa / International Center of Photography / Magnum Photos

 ワーナー・ビショフ《ハンガリー》(両親を戦争で亡くし、孤児院に暮らす少女)1947年 ⒸWerner Bischof / Magnum Photos

ワーナー・ビショフ《ハンガリー》(両親を戦争で亡くし、孤児院に暮らす少女)1947年 ⒸWerner Bischof / Magnum Photos

デイヴィッド・シーモア《イタリア》1949年ⒸDavid Seymour / Magnum Photos

デイヴィッド・シーモア《イタリア》1949年ⒸDavid Seymour / Magnum Photos

ワーナー・ビショフ《ヤシの葉を日傘にする農夫、カンボジア》1952年 ⒸWerner Bischof / Magnum Photos

ワーナー・ビショフ《ヤシの葉を日傘にする農夫、カンボジア》1952年
ⒸWerner Bischof / Magnum Photos

 

 

 

 

 

レナード・フリード《ドイツ》1966年 ⒸLeonard Freed / Magnum Photos

レナード・フリード《ドイツ》1966年
ⒸLeonard Freed / Magnum Photos

ダン・ワイナー《散歩中の家族、ソ連》1957年 ⒸJohn Broderick

ダン・ワイナー《散歩中の家族、ソ連》1957年
ⒸJohn Broderick

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レナード・フリード《ハーレム》1967年   ⒸLeonard Freed / Magnum Photos

レナード・フリード《ハーレム》1967年  
ⒸLeonard Freed / Magnum Photos

 

 

〈参考写真〉

 

1968年、高松宮妃殿下をお迎えして行われた銀座・松屋での「時代の目撃者 コンサーンド・フォトグラファー」展 同展の日本開催をコーディネートしたのは、写真家・久保田博二氏だった。 写真右から3人目、高松宮妃喜久子妃殿下、アンドレ・ケルテス、コーネル・キャパ夫妻、エンサイクロペディア・ブリタニカ日本支社長フランク・ギブニー、写真家・濱谷浩夫妻 ⒸEstate of André Kertész, New York, 2015

1968年、高松宮妃殿下をお迎えして行われた銀座・松屋での「時代の目撃者 コンサーンド・フォトグラファー」展
同展の日本開催をコーディネートしたのは、写真家・久保田博二氏だった。
写真右から3人目、高松宮妃喜久子妃殿下、アンドレ・ケルテス、コーネル・キャパ夫妻、エンサイクロペディア・ブリタニカ日本支社長フランク・ギブニー、写真家・濱谷浩夫妻
ⒸEstate of André Kertész, New York, 2015

銀座・松屋内展覧会場でのアンドレ・ケルテス(右)とコーネル・キャパ(左)、1968年      ⒸHiroji Kubota / Magnum Photos

銀座・松屋内展覧会場でのアンドレ・ケルテス(右)とコーネル・キャパ(左)、1968年     
ⒸHiroji Kubota / Magnum Photos

 

 

●展示作家略歴

ⒸDan Renore

アンドレ・ケルテス ⒸDan Renore

 アンドレ・ケルテス(ハンガリー / アメリカ、1894-1985) André Kertész

1894年、ハンガリーのブダペストに生まれる。幼い頃にグラビア雑誌を目にし、映像に熱中するようになる。1912年、ブダペスト商業アカデミーを卒業。初めてガラス乾板の入るカメラを買い、街の様子を撮影する。写真は独学だった。第一次大戦中、軽量カメラを持ってオーストリア・ハンガリー軍に従軍し、塹壕の中の生活を記録するが、戦後再び証券取引所の仕事に従事する。1925年、フランス・パリへ移住。多くの芸術家と親交を深めた。1926年から10年にわたりケルテスの写真がヨーロッパ有数の一流雑誌のページを飾り、その後の四半世紀に繁栄するフォトジャーナリズムに門戸を開いた。1936年、アメリカ・ニューヨークに移住、市民権を得る。1962年、13年間専属契約を結んでいたコンデ・ナスト社との契約を解消し、個人的な作品に専念する。1963年以降、ニューヨーク近代美術館をはじめ、世界各地で展覧会が開催された。半世紀にわたる作品から、瞬間を凝縮させる鋭い感受性、斬新なデザイン、優しい眼差しが、世界の人々を豊かな写真表現の世界に導いた。1984年、ネガや関係書類一切をフランス文化省に寄贈することを決意。1985年、ニューヨークにて死去。

 

 

 

ⒸMagnum Photos

デイヴィッド・シーモア ⒸMagnum Photos

デイヴィッド・シーモア (ポーランド、 1911-1956) David Seymour(“Chim”)

1911年、ポーランドのワルシャワに生まれる。1914年、家族と共にロシアに移住し、5年間暮らす。ワルシャワに戻り、1931年、美術学校を卒業する。同年パリに移り、ソルボンヌ大学で印刷化学を学ぶ。この頃から、フリーランスの写真家として活動を開始し、シムのニックネームで呼ばれるようになり、キャパやカルティエ=ブレッソンとも出逢った。1936年から38年までスペイン内乱をはじめヨーロッパの各地で取材。1939年よりメキシコに旅行ののち、ニューヨークに移住する。戦争中はアメリカ軍の軍属として、写真偵察やその解析にあたる。1947年、「マグナム・フォト」の設立に参加。1949年から55年にかけてヨーロッパ各国やイスラエルを精力的に取材、多くの作品を残す。この頃、ユニセフの依頼で各国のこどもたちを撮影した。1954年ロバート・キャパの死亡にともない、マグナムの会長を務める。1956年11月10日、第二次中東戦争(スエズ戦争)で、負傷兵交換の取材のためスエズ運河付近を走行中、エジプト軍の銃弾に倒れる。

 

 

 

 

 

ロバート・キャパ(ルース・オーキン撮影、1952年) ⒸMagnum Photos

ロバート・キャパ(ルース・オーキン撮影、1952年)
ⒸMagnum Photos

ロバート・キャパ(ハンガリー/アメリカ、1913-1954)Robert Capa

本名アンドレ・フリードマンとして、1913年ブダペストに生まれる。1931年、左翼運動に関わりベルリンに逃れる。高等政治専門学校で学ぶかたわら、写真エージェンシーで働き、コペンハーゲンで演説するトロツキーを撮影し写真の腕を認められる。1933年、ナチ化が進むドイツを離れパリに移住する。ここで後の「マグナム・フォト」の創設メンバーとなるカルティエ=ブレッソンやシーモアらと出逢う。1936年頃からロバート・キャパの名前で作品を発表し、スペイン内乱中撮影した「崩れ落ちる兵士」の写真で一躍世界的に有名になる。第二次世界大戦勃発とともに、1945年まで『ライフ』誌の特派写真家としてヨーロッパ戦線の重要な場面を記録する。特にノルマンディー上陸作戦の際、撮影された一連の作品は第二次大戦中の最高傑作とされている(本展でも展示)。戦後の1947年、著作『ちょっとピンぼけ』を出版した。同年アンリ・カルティエ=ブレッソン、ジョージ・ロジャー、デイヴィッド・シーモアらと世界的な写真家集団に発展する「マグナム・フォト」を設立する。1954年4月、初めて日本を訪れ、大歓迎を受ける。翌月、『ライフ』の要請でインドシナ(現ベトナム)で撮影中、タイビンで地雷に触れ死亡。5月25日その短い一生を閉じる。1955年、キャパの業績を記念して、ロバート・キャパ・ゴールド・メダル賞が設立され、以後毎年優れたフォトジャーナリストに贈られている。

 

 

 

ワーナー・ビショフ ⒸMagnum Photos

ワーナー・ビショフ
ⒸMagnum Photos

ワーナー・ビショフ(スイス、1916-1954)Werner Bischof

1916年、スイス・チューリッヒに生まれる。本人は画家を志望するが、父の希望で教員養成学校で学ぶ。途中でチューリッヒの美術学校に転校し、ハンス・フィンスラーより写真を学ぶ。1936年にグラフィック・アート・スタジオを開き、主にファッション写真を手掛ける。1942年より『ドゥ』誌の専属写真家となる。第二次大戦後、フランス、オランダ、ドイツなど戦災で荒廃した国々を取材し、ジャーナリスティックな写真を撮るようになる。1949年、マグナム・フォトの正会員になる。51年からインド、日本、韓国を数年に渡り取材し、『ライフ』『パリ・マッチ』『ドゥ』誌などで多くの秀作を発表し、国際的な評価を受ける。1954年、南米ペルーのアンデス山脈で取材中ジープが谷底に転落し死亡した。

 

 

 

 

 

 

ダン・ワイナー ⒸJohn Broderick

ダン・ワイナー
ⒸJohn Broderick

ダン・ワイナー(アメリカ、1919-1959) Dan Weiner

1919年、ニューヨーク市に生まれる。初めてカメラを手にしたのは15歳の時、プレゼントされたフォクトレンダー(小型カメラ)だった。画家としての独立を目指し、プラット・インスティテュートへ入学するも、ポール・ストランド、ドロシア・ラング、ウォーカー・エヴァンズらの影響を受けて、写真に転向。商業写真家の助手となる。第二次世界大戦中は、空軍専属の写真家となり、講師をつとめる。戦後、ニューヨークに自身のスタジオを開設、カタログ撮影用に婦人用の帽子などを撮影する。3年後、スタジオを閉鎖し、報道写真に専念。1953年、初の個展をニューヨーク・カメラ・クラブで開催した。翌年、ヨーロッパへ撮影旅行。1956年、コリアーズ誌のために、アラバマ州で始まった黒人のバス乗車拒否運動を取材。先鋭化する市民権運動をマスコミが大きく報道したのは、これが最初となった。亡くなるまでの10年間、アメリカの代表的な写真誌の委嘱を受け、ロシア、南アフリカを始め世界各地を取材した。繊細な感受性と社会的な意識の高さが高い評価を受けた。1959年、ケンタッキー州で取材中、飛行機事故で亡くなる。

 

 

 

レナード・フリード ⒸMagnum Photos

レナード・フリード
ⒸMagnum Photos

レナード・フリード(アメリカ、1929-2006)Leonard Freed

1929年、ニューヨークのブルックリンで、厳格なユダヤ人移民の家庭に生まれる。最初は画家を志すが、ヨーロッパとアフリカを2年間旅行後、1955年ニューヨークでアレクセイ・ブロドヴィッチ(アート・ディレクター)に師事する。1956年、マグナム・フォトに参画。1961年からフリーの写真家として、各国に取材旅行に出る。以後、アメリカの黒人やイスラエルの六日戦争、ドイツ社会におけるユダヤ人などを取材。1967年、コーネル・キャパが開催した“The Concerned Photographer”に最年少で選出される。1972年にマグナム・フォトの正会員となる。以後、『ニューヨークタイムズ・マガジン』やドイツの『シュテルン』『ゲオ』などに多くの作品を発表している。取材範囲も全世界におよび、その安定した表現力が高い評価を得た。2006年11月死去。

 

 

 

 

 

 

 

●本展の構成者

コーネル・キャパⒸMagnum Photos

コーネル・キャパⒸMagnum Photos

コーネル・キャパ (ハンガリー/アメリカ、1918-2008) Cornell Capa

1918年、ブタペストに生まれる。高校を卒業した後、医学を志し、パリの兄アンドレ(ロバート・キャパ)の元へ行く。兄を通じてシム(デイヴィッド・シーモア)やアンリ・カルティエ=ブレッソンらと知り合い、彼らの写真をプリントするようになる。1937年、ニューヨークに移り、兄が出入りしていた写真エージェンシー「ピックス」の暗室の仕事を始める。翌年、『ライフ』誌の暗室へ移り、有能な写真家達の仕事に触発される。1939年ころより、写真家として各雑誌に作品を発表。第二次大戦中は、米空軍写真情報部・広報部に勤務。1946年より『ライフ』誌の専属写真家となり、イギリス駐在員となる。1954年マグナムに参画。アメリカの政治、中南米、世界の宗教などの取材を意欲的にこなす。デイヴィッド・シーモアの死後1956年から60年までマグナムの会長を務める。1974年、ニューヨークにICP (International Center of Photography/国際写真センター) を創設。永年の夢だった、兄をはじめとする数多くの優秀なフォト・ジャーナリストの作品を所蔵し、発表してゆく場とする。設立以来20年間館長を勤め、1994年名誉館長となる。同年、大規模な回顧展が開催され、写真集も出版された。

 

■会期中のイベント

■KMoPAチャリティ・ライブ2015 

◎日時:9月12日(土)14:00~16:00

写真家・井津建郎氏が、地雷の被害にあったカンボジアの子どもたちのために開院した「アンコール小児病院」。KMoPAが過去18年間支援してきた同病院は、2013年1月自立を果たしました。本チャリティは、引き続き井津氏が設立・運営に着手したラオスの小児病院のほか、東日本大震災の被災者支援団体「いのち・むすびば」に収益を寄付します。

ライブ出演鈴木重子、ウォン・ウィンツァン

参加費:一般3,000円、2名以上はお一人2,000円、小・中学生は無料 友の会会員は各1,000円引き

要予約/定員120名/全席自由

鈴木重子(すずき しげこ)

ヴォーカリスト 浜松市生まれ。東京大学在学中に本格的にボサノヴァ、ジャズヴォーカルを学び、司法試験への挑戦とジャズクラブでの活動を続けながら、自身の歩む道を模索。「本当に好きなことをして、限りある人生を生きよう」とヴォーカリストの道を選択。1995年、ニューヨークの名門「ブルーノート」にて、日本人ヴォーカリストとして初のデビュー公演。以後、多くの作品を発表。いのちの響きをつむぐ歌い手として“Breath for Peace”平和の歌を集めるプロジェクト、東日本大震災被災地を訪れるなど、活躍の場を広げている。http://www.shigeko.jp/

 

鈴木重子

鈴木重子

 

 

 

 

 

 

 

 

ウォン・ウィンツァン

ピアニスト、即興演奏家、作曲家

1949年神戸生まれ、東京育ち。19歳よりジャズ、前衛音楽、フュージョン、ソウルなどをプロとして演奏。87年、瞑想の体験から自己の音楽の在り方を確信し、90年ピアノソロ活動を開始。26作のCDを発表。現在放送中のNHK「にっぽん紀行」Eテレ「こころの時代」テーマ曲も手がける。3.11東日本大震災の5日後より2か月間、祈りのピアノ演奏をストリーミング配信。現在も被災地支援や平和のチャリティ演奏を続けている。超越意識で奏でる透明な音色で「瞑想のピアニスト」と呼ばれている。http://www.satowa-music.com

 

ウォン・ウィンツァン

ウォン・ウィンツァン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■会期中のワークショップ

●ピンホールカメラ・ワークショップ

「針穴写真」と呼ばれるピンホールカメラは、カメラの原点です。難しく聞こえるかもしれませんが、実は、お菓子の空き箱など、身近にある材料で写真を撮ることができるのです。レンズがないのに、なぜ写真が撮れるのか?館内の暗室でモノクロ写真の現像も同時に行います。写真の原点を体験すると、普段の撮影がさらにグレードアップすることは間違いありません。夏休みの宿題にもどうぞ。親子での参加もOK!

◎日時:8月9日(日)10:00~15:00

参加費:1,000円(入館料を含む)/友の会・会員は500円引き

定員:10名 要予約

✻小学生は親子での参加をお願いします。

✻参加申し込みは、8月2日までに、ご住所・氏名・参加人数をお知らせください。

お菓子の箱を利用して作ったピンホールカメラ

お菓子の箱を利用して作ったピンホールカメラ

ワークショップ生徒さんの作品ⒸAi Saito

ワークショップ生徒さんの作品ⒸAi Saito

 

 

 

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