過去の展示 Toggle

HP連載: 「石」と「人」をめぐる冒険 井津建郎の半生 …. 第五回

何かを探すためにエジプトのピラミッドへ。その撮影での人知を超えた経験により、写真への畏敬の念に目覚めた井津建郎。次の旅は―。

 

「石」と「人」を巡る冒険 井津建郎の半生

                  山岡淳一郎

<第五回>

アンコール・ワット遺跡と子どもたち

石積みの隙間から巨木の根が拡がり、アンコール・ワットの遺跡を覆っている。天から伸びた巨人の手が寺院を鷲づかみにしているようだ。この写真を井津が93年に撮ったとき、周りには子どもが群がっていた。好奇心たっぷりのまなざしを浴びていた井津は、ハッと胸がつまった。手足のない子どもが何人もいた。地雷で吹き飛ばされたのだ。子どもたちの屈託のない笑顔と、内戦のむごさがまぶたに焼き付けられた。

翌年、カンボジアを再訪した井津は、子どもの医療環境が気になってシェムリアップ州立病院に足を運んだ。ベッドに寝かされた10歳前後の少女が、お金がないばかりに治療を受けられず、目の前で息を引き取った。ニューヨークに残した一人娘と同じぐらいの歳だ。

「このままでいいのか!」。腹の底から言いようのない情動が突き上げる。

マンハッタンに戻った井津は、友人や知人に「カンボジアに子どもの病院を建てたい。手伝ってほしい」と声をかけ、「FRIENDS WITHOUT A BORDER(国境なき友人:愛称フレンズ)」を立ち上げた。

大学の同級生、松島が井津から「フレンズを日本にも」と声を掛けられたのは96年だった。出版社にカメラマンとして入った松島は、編集者に転じ、芸能界を担当した。華やかな世界で楽しく仕事をこなしたが、40代半ばを過ぎて管理部門に配置転換。お金の勘定に追われる日々に倦んでいた。二つ返事で松島は引き受ける。

とりあえず、松島の自宅にフレンズ日本の事務所を置いた。活動の最大のテーマは資金集めだ。井津は自身の写真展での売上げをフレンズに寄付した。松島がふり返る。

「夜、家で寄付金関係のデータ整理をしてカンボジアにお金を送りました。会社の管理業務で蓄えたノウハウが生きた。フレンズの事務は楽しかったな。会社ではストレスばかり溜めてたけどね(笑)。病院建設には10年かかると言われていたけど、早かったですよ」

99年、シェムリアップ州立病院の隣にフレンズが支える「アンコール小児病院」が完成する。その開院式で井津は医師や看護師を前に、こう語りかけた。

「みなさん、この病院では自分の子どもにすることはすべてやってください。自分の子どもにしないことは、絶対にやらないでください。袖の下はやめましょう。お願いします」

アンコール小児病院は、カンボジアの医療文化の変革施設として船出したのである。

第六回につづく

 

井津建郎《Druk#545、ジャンベイ寺院で祈る若い妻、ブムタン、ブータン》2007年 プラチナ・プリント、当館蔵

井津建郎《Druk#545、ジャンベイ寺院で祈る若い妻、ブムタン、ブータン》2007年
プラチナ・プリント、当館蔵

井津建郎《Druk #537、タムシン寺院近所の学校友達、ブムタン、ブータン》2007年 プラチナ・プリント、当館蔵

井津建郎《Druk #537、タムシン寺院近所の学校友達、ブムタン、ブータン》2007年
プラチナ・プリント、当館蔵

ShutDown