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大原治雄「ブラジルの光、家族の風景」 Haruo Ohara Fotografias

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会  期:10月22日(土)~12月4日(日)

休  館 日:10/11(火)~10/21(金)、毎週火曜日 *12月5日より冬期休館

会  場:清里フォトアートミュージアム

主  催:清里フォトアートミュージアム、モレイラ・サーレス財団、駐日ブラジル大使館

後  援:山梨県教育委員会、北杜市教育委員会

企画協力:株式会社コンタクト

 

Hoje você vê a flor

 Agradeça à semente de ontem

「昨日まかれた種に感謝 今日見る花を咲かせてくれた」 ―  大原治雄のメモより

朝の雲、パラナ州テラ・ボア、1952年 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

朝の雲、パラナ州テラ・ボア、1952年
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

 

 

 

 

 

 

 

 

本展覧会について 

治雄と幸、パラナ州、1954年頃 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

治雄と幸、パラナ州、1954年頃
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

ブラジルの大地、農の営み、家族を愛した大原治雄

大原治雄「ブラジルの光、家族の風景」は、日系移民として高知県からブラジルへわたり、アマチュア写真家として活動し、ブラジル国内で大変高い評価を得た“知られざる巨匠”大原治雄(おおはら はるお)の日本での大規模な回顧展です。

日本からブラジルへ、最初の移民船「笠戸丸」が出航したのは、1908年(明治41年)でした。大原はその翌年、1909年、高知県吾川郡三瀬村石見(現・いの町)に生まれました。1927年、17歳で家族らと集団移民としてブラジルに渡り、当初はサンパウロの農園で農場労働者として働きます。その後、未開拓の地、パラナ州ロンドリーナ(リオデジャネイロから約800キロ)に最初の開拓者の一人として入植します。

24歳で結婚。それを機に、大原は、人生の大切な日の記録を残すことのできる写真に興味を持ち、4年後に小型カメラを購入します。

初めて撮影したのは《オレンジの木の隣にいる幸(こう)》(幸は大原夫人)でした。以来、農作業の合間に写真を撮るようになります。

独自の研究を重ねて技術を習得し、やがて1951年(41歳)にはサンパウロの有名カメラクラブの会員となり、国内外の写真展に出品するほどとなります。1970年代初頭からは名前も知られ始め、地元の新聞への掲載、個展開催、フォトフェスティバルへの出品など、徐々に高い評価を受けるようになりました。

 

治雄の甥・眞田エリオとイチジクの木、パラナ州ロンドリーナ、1955年 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

治雄の甥・眞田エリオとイチジクの木、パラナ州ロンドリーナ、1955年
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

霜害後のコーヒー農園、パラナ州ロンドリーナ、1940年頃 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

霜害後のコーヒー農園、パラナ州ロンドリーナ、1940年頃
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

眞田準の農園、パラナ州ロンドリーナ、1955年 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

眞田準の農園、パラナ州ロンドリーナ、1955年
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<参考>日本からブラジルへの移民について

1895年、日本とブラジルは修好通商条約に調印し、外交関係を樹立。1908年(明治41年)に神戸港から781人が出発したのを始まりに、約100年間にわたり25万人が移住しました。 移民は当初、好待遇を約束されていましたが、奴隷制度廃止に伴う労働力不足を解消するため、コーヒー農園の労働者として酷使されました。しかし、日本人らしい持ち前の粘り強さと団結力を発揮し、農業の技術革新に貢献するなど、いつしかブラジル社会を支える存在となりました。現在ブラジルには、160万人以上の日系人が暮らしています。

花壇での遊び、パラナ州ロンドリーナ、シャカラ・アララ、1950年頃 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

花壇での遊び、パラナ州ロンドリーナ、シャカラ・アララ、1950年頃
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

シャカラ・アララの中心地、パラナ州ロンドリーナ、1950年代 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

シャカラ・アララの中心地、パラナ州ロンドリーナ、1950年代
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大原にとって写真とは  ー  本展を象徴する作品

大原は、ブラジルへ渡ってから70年間、一日も欠かさずに日記を書き続けました。下記はその一部です。

猫の目の如き天気がざあざあっ

時々灰色の雲が通ると大粒の水滴が落ちる

太陽にてらされて まっ白い糸が

天と地をつなぐやうに思える

(大原治雄日記より)

特筆すべきは、優れた表現力ですが、大自然を相手に一喜一憂する日常を書き綴ることによって、不安に波立つ心を鎮めていたのかもしれません。

ある年、霜害で農園のコーヒーの木が枯れてしまい、一家は10年間厳しい生活を送りました。その間にも、大原は、頭を抱えた自分自身のポートレイトを撮影し、ユーモアを感じさせる余裕さえ見せています。そして、再び農業が軌道に乗った後に撮影したのが、本リリース表紙のセルフポートレイトです。

画面を広く覆う朝の大空は、原生林を切り開いたからこそ現れた「空」と「水平線」であり、大原はこれを繰り返し撮影しています。開拓の象徴である広い空を背景に、くわえ煙草で、指先で鍬を操り、軽々とバランスを取る大原が、「天と地をつなぐやう」な姿として、撮影されています。苦難の日々を乗り越えた喜びに溢れる姿ですが、大原自身は画面右端に立っていることから、大原は、この写真の主役をブラジルの大地と空と捉えていることがわかります。本展を象徴する作品です。

抽象:サン・ジェロニモ通りの家にて、パラナ州ロンドリーナ、1969年頃 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

抽象:サン・ジェロニモ通りの家にて、パラナ州ロンドリーナ、1969年頃
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

ソテツ、サン・ジェロニモ通りの家にて、パラナ州ロンドリーナ、1969年 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

ソテツ、サン・ジェロニモ通りの家にて、パラナ州ロンドリーナ、1969年
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

渦、パラナ州ロンドリーナ、1957年 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

渦、パラナ州ロンドリーナ、1957年
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

大原の写真は、おおらかな大地と農作業の喜び、家族へ注がれる慈愛の眼差しに満ちています。また、スナップのような軽やかな印象の作品も、実は、自然光の取り入れ方、人物の動きや構図などが、綿密に計算されていることが見て取れ、大原の優れた観察力と表現力が感じられます。

また、近代写真の実験的精神をふんだんに取り入れながら、日常生活の中に「美」を見出し、独自の世界を作り上げようとする真摯な取り組みには、新しいものへの挑戦を恐れない精神の強さを感じることができます。人生の大切な時間や身の回りのものごとを、丁寧な手法で、写真芸術として開花させ、再び家族と共有する楽しみこそが、大原の生きる希望だったのではないでしょうか。

雨後のロンドリーナ駅の操車場、パラナ州ロンドリーナ、1950年代 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

雨後のロンドリーナ駅の操車場、パラナ州ロンドリーナ、1950年代
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

泥:ブラジル通り、パラナ州ロンドリーナ、1950年 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

泥:ブラジル通り、パラナ州ロンドリーナ、1950年
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本展のみどころ ― 180点のモノクロ作品が語るもの

治雄の娘・マリアと甥・富田カズオ、パラナ州ロンドリーナ、富田農園、1955年 ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

治雄の娘・マリアと甥・富田カズオ、パラナ州ロンドリーナ、富田農園、1955年
ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

大原は、開拓したロンドリーナの町の発展は記録しましたが、過酷な労働や戦時中の混乱は、いっさい撮影しませんでした。あくまでも生活に根ざし、アマチュアの“農民写真家”を貫いたのです。農業を楽しみ、命を育む大地の恵みに感謝し、そして、新しい物事を学び、想像力を失わないこと ー それが、写真を通して、大原が子どもたちに伝え、残したかったことかもしれません。大原の生涯を支えた写真が湛える豊かな表現力と深い精神性は、時代を超えて、人々の心に響くことでしょう。

幸夫人が1973年に亡くなると、大原は、9人の子どもたち一人ひとりのために、 過去の膨大なネガを見直して編集し、家族の歴史を一冊にまとめた「アルバム帖」を作成します。1年間暗室にこもって一冊あたり約300枚もの写真を焼き、貼り付け、9冊を仕上げました。本展では、その貴重な「アルバム帖」も展示いたします。

© Saulo Haruo Ohara

 

 

 

 

 

 

 

1999年、大原は家族に見守られながら、89歳で永眠します。治雄と幸夫人に始まった大原家は、現在70人を超す大家族となっています。2008年、日本人のブラジル移民100周年記念の年に、遺族により、オリジナル・プリント、約2万枚のネガフィルム、写真用機材、蔵書、日記など一連の資料が「モレイラ・サーレス財団」に寄贈されました。本展では、同財団のコレクションよりモノクロ作品約180点を展示いたします。

 

大原治雄 Haruo Ohara (1909-1999) 略歴

セルフポートレイト:富田農園の竹林にて、パラナ州ロンドリーナ 1953年  ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

セルフポートレイト:富田農園の竹林にて、パラナ州ロンドリーナ 1953年  ⒸHaruo Ohara/Instituto Moreira Salles Collection

1909年11月5日、高知県吾川郡三瀬村石見に、農家の長男として生まれる。1927年、17歳で、家族らと共にブラジルへ移民として渡り、初めサンパウロ州のコーヒー農園で働いた後、1933年、パラナ州ロンドリーナに最初の開拓者として入植する。1938年、小型カメラを手に入れ、コーヒーや果樹栽培の合間に趣味で撮影を始める。独自に研究を重ねながら技術を習得し、次第にカメラに没頭。1951年、ロンドリーナ市の新空港建設のため、市街地に生活を移し、「フォトシネクラブ・バンデイランチ」(サンパウロ)に入会。農業経営の一方、60年代後半まで国内外のサロンに積極的に参加。当時は無名のアマチュア写真家だったが、1970年代はじめから徐々に知られるようになり、地元新聞などで紹介される。1998年、「ロンドリーナ国際フェスティバル」および「第2回クリチバ市国際写真ビエンナーレ」で、初の個展「Olhares(眼差し)」展が開催され、大きな反響を呼ぶ。1999年8月、家族に見守られながらロンドリーナで永眠。享年89歳。2008年、日本人ブラジル移民100周年の機会に、遺族により写真と資料の一式が、ブラジル屈指の写真史料アーカイヴズであるモレイラ・サーレス財団に寄贈された。2015年、NHKドキュメンタリー番組「新天地に挑んだ日本人~日本・ブラジル120年~」「国境を越えて―日本―ブラジル修好120年」で、大原治雄が日本で初めて紹介され反響を呼ぶ。

 

モレイラ・サーレス財団  INSTITUTE MOREIRA SALLES (IMS)

大原作品の所蔵館。ブラジルの銀行Unibanco(ウニバンコ)が設立し、モレイラ・サーレス家の出資により運営されている文化財団。写真、音楽、文学、映像部門のコレクションを形成。研究、展示の他、さまざまな出版も手がけている。

 

本展開催までの経緯

本巡回展の皮切りは、6月、大原の出身地である高知県にて“里帰り”展として開催され、次いで、17歳でブラジルへ出航した神戸港近くの伊丹市へ巡回、そして当館での展示が最終地となります。大原治雄の写真集がブラジルから日本へ2009年に初上陸した地が、ここ清里でした。ブラジル屈指の写真コレクションを誇るモレイラ・サーレス財団は、日本での大原治雄展開催の機会を求め、最初に当館へ写真集を寄贈。しかし当時は開催が実現せず、2015年「ブラジル・日本国交120周年」を機会に、ブラジル大使館から再度打診があり、7年越しで、高知県立美術館、伊丹市立美術館、当館の3館での開催が実現しました。

 

■会期中の無料デー

❶「ハルオ・デー」11月5日は大原治雄の誕生日です。当日は入館料が無料となります。

「山梨県民の日」11月20日は山梨県民の日。当日は入館料が無料となります。

 

写真家・平間至によるギャラリートーク

NHK「日曜美術館」(2016年5月放送)の大原治雄特集で取材を受けた平間至氏が、写真家の視点から読み解いた大原作品の魅力を語ります。

●11月12日(土)午後2時~3時 入館料のみ/予約不要

 

<参考展示>サウロ・ハルオ・オオハラによる作品展

「Aurora do Reencontro 再会の夜明け」

サウロ・ハルオ・オオハラ《Aurora do Reencontro再会の夜明け》ⒸSaulo Haruo Ohara

サウロ・ハルオ・オオハラ《Aurora do Reencontro再会の夜明け》ⒸSaulo Haruo Ohara

サウロ・ハルオ・オオハラ(1972)は、大原治雄の孫で、移民三世。サウロ氏は、ブラジル・ロンドリーナに生まれ、大学で法学を学んだ後、スイスで写真を学び、写真家となりました。サウロ氏は、高知県立美術館での祖父「大原治雄」展に際して、自らのルーツである高知県吾川郡いの町を訪れ、2週間滞在しました。そして、滞在中に撮り下ろした写真を、プラチナ・プリント用に開発されたいの町名産の和紙 「土佐白金紙」にプリントしました。プラチナ・プリント技法による作品の収集・展示を基本理念のひとつとする当館では、大原治雄展と同時にサウロ氏の祖父の原風景を見つめる作品「Aurora do Reencontro ― 再会の夜明け」(プラチナ・プリント作品5点、モノクロ・プリント約10点)を展示します。

協力:いの町紙の博物館(高知県)

 

 

 

 

 

 

 

大原治雄について過去の放送

NHK Eテレ「日曜美術館」(2016年5月22日)

NHK ETV特集「移民の国に咲いた花~日本ブラジル120年~」(2015年11月28日)

 

■K・MoPAで星をみる会

K・MoPA恒例、星の美しい清里ならではの秋の観望会です。秋の星空について、また天文学における最新の話題などを専門家にお話いただく少人数の気軽な催しとして「いつか行ってみたい」というお声も頂戴しています。講師の梅本智文先生は東北大学卒の理学博士で、K・MoPAの講師としてお迎えするのは今回でなんと10回目。毎回テーマを変えてお話くださいます。天文ファンも初心者も、そしてリピーターの方も大歓迎です。 雨天の場合もレクチャーがございます。 どうぞふるってご参加ください。

梅本智文講師によるレクチャー

梅本智文講師によるレクチャー

◎日時:11月26日(土)午後5時~7時 

●講師:梅本智文(国立天文台 野辺山宇宙電波観測所 助教)

参加費:1,000円(入館料を含む・小中学生は無料)

友の会・会員は無料

定員:15名 要予約

✻参加申し込みは、11月25日までに、ご住所・氏名・参加人数をお知らせください。

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