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2022YPステートメント

●展示室1

壁番号1

スミン・シン Sumin SHIN

私は人間と写真のイメージの表面性に主に関心をもっています。《崇高なポートレート》と《立ち向かえ》では、しくじりを採り入れて、写真の表皮を解体しようと試みました。
近作《Z軸》は、ある時期を推測に基づいて記録したイメージです。この作品で私は、写真のイメージが被写体の他の側面を失うのは避けられず、ひいては不在の形態の表面に導かれるのも避けられないことを明らかにしようと試みました。写真が「瞬間」の表面的な概念を追求するのは避けられません。ところが、写真の提示する表皮は、人間性の真の本質を表現することはできません。私は様々な作品制作を通じて、写真の矛盾を見いだす試みを続けています。

狩野 萌 KANO Megumi

高校を卒業するまで地元の群馬県で家族とともに暮らした。道ですれ違う人にはあいさつをするほどのド田舎だ。誰もが皆、お互いのことを知っている。「与三さんちの子だね」とよく言われた。祖父の名前を出せば、どこに行っても通用する。そんな狭い村で育った。小学校で兄が不登校になり、中学校で自分を抑圧させようとする教師を嫌いになり、高校の部活でやりたくないポジションになった。狭い世界の中から抜け出すことができなかった。心に溜まったものはずっと溜まったままだった。幼少期から24歳で南米に行くまでの間、私の中に積み重なった思いを外に吐き出す。そんな意味を込めてこの作品をつくった。

壁番号2

阪東美音 SAKATO Mio

女の友人の容姿や行動、思考に面白さを感じ、女性をテーマとした作品の制作を行なっている。

卯月梨沙 UZUKI Risa

『幽明(ゆうめい)』とは、暗いところと明るいところ、あの世とこの世という意味である。
日々の中で出逢った違和感や心象風景に重なった景色と、自身の原体験や皮膚感覚を元に抽出した創造を混ぜ合わせて構成することで、現実と非現実、その間(あわい)を表現している。

写真は光によって写し出され、影が描き出される。
虚と実、全ては綯い交ぜに、境界など無いのだと知った。
そこにしかない自由を求め、彷徨うように撮り続ける。

卞敏 BIAN Min

ポートレートを撮るのが好きで人を中心に作品を撮っています。
忘れない為に大切な記憶を写真で残したいです。
今回の作品は多くの人がLGBTに対する好奇心を持っているかもしれませんが、私の友達は同性恋人ですが、普通の恋人と同じだということを人々に知ってもらいたいです。

壁番号3

ソンジュ SONJU

人々の魅力に霊感を受け、私は神秘と青春の静かな瞬間を捉えようとする。写真は私の潜在意識 -私の情趣、思考、そして記憶- の感情的、肉体的表現として作用する。作品が進歩、進化するにつれ、私は自分自身をよりよく知るようになった。

イゴール・チョゴール Igor CHOGOL
オレクシー・チョイストーツィン Oleksii CHYSTOTIN

(イゴール・チョゴールとオレクシー・チョイストーツィンはグループによる活動を行っているため、アーティスト・ステートメントは共通です)

私たちの作品は、日頃から私たちの暮らす、住民同士の結びつきの強い、ソビエト支配以後の生活空間を観察、探索することから出発する。そこには捉えきれなかった時、時代を超越する感覚を切望する思いがある。それを通じて未来に待ち受ける不吉さ、不確かさのとりかえしのつかない幻がほのかに滲みだす。捉えられたこれらの映像、そこに刻印された私たちの過去の感覚が、いまでは郷愁に満ちた状況を再現する。ただし特定の場所や時間が示唆されるわけではない。

戦争と破壊が私たちの住まいに侵入してきた今、これらの写真のどれほどが未来に伝わるのだろうか。

壁番号4

鈴木隼斗 SUZUKI Hayato

写真を軸に作品を制作している。
写真、絵、文章、それぞれの役割の中で今、自分の求めている表現に沿ったものを選択する。今、ありあまるエネルギーをいかにして落とし込むか、作品と向き合い制作を続けていき、2022年1月の新宿Place Mでの個展をきっかけにグループ展に参加したり、活動の幅を広げている。

クリスチャン・バビスタ Christian BABISTA

変化はとまらないと私は固く信じる。すべては変化する。ひとでも場所でもそれは同じこと、なかでも事の成り行きは特にそう。

写真は私たちの周囲にあるものの間にある障壁を打ち破り、再び結びつける言語の役割を果す。写真は私たちのために見事に時間を凍結し、一枚の写真に生じたことを見つめ、考えさせる。それには驚くほかない。写真は撮影したときの気分をよみがえらせ、見るたびに懐かしい気分に浸らせてくれる。

子供のころ、父は働くために家を留守にしなければならず、ほとんどの時間を家族と離れて過ごした。私にはこのことが理解できなかったが、父が亡くなるとすべてが変化した。責任を肩代わりすることになったからである。

私は家を空け、家族に糧を与えなければならず、そのようにして理解することができた。家を空けるのは家族を見捨てることではなく、自ら成長し、成熟することを意味するとわかった。私はひとりきりで、だれにも助けを求めることはできなかったが、なんとか生き抜こうと努力し、新しい環境を探り、やがてそれに馴染み、新しい友人もできた。そうした友人たちもいずれ旅立ち、自分なりに生きてゆくことになるから、この循環はつづいてゆく。私たちはだれもが成長しなければならないが、成長しても疎遠になるとは限らないことが理解できた。

壁番号5

前川光平 MAEKAWA Kohei

本作は、東京の周縁部である工業地や田園地が多くを占める地域にて撮影されている。
個人の庭や畑、廃材置き場といった路上で野ざらしにされたマネキン。それは洋服店のショーウィンドウのものとは異なる、空き巣の防犯対策や個人の創作の趣味といった目的で設置された路上のディスプレイである。
多くの倒錯したホラー映画において、仮面は人間の表情や感情を剝ぎとる殺人の装置であり、マネキンはエゴイスティックな陶酔や死のメタファーとして用いられているように、いきすぎた物質の使用は、真っ当な社会によって隠された人間のエゴと観念をあらわにする。
ストロボによって照らされたマネキンとその環境は、その背後に暮らす住人の姿を浮かび上がらせていく。

川口 翼 KAWAGUCHI Tsubasa

記憶とはデフォルメされてしまうものであるのと同様に、写真も「カメラ」という光学機器にデフォルメされた紛れもない記憶である。
それは嘘と言うよりむしろ、本当の嘘とでも言った方が僕にはしっくりくる。写真は発明された段階から既に実に人間臭い表現性を孕んでいたと思う。
その瞬間をたとえ1/125秒という刹那さで切り取れたとしても、1/125秒先の未来をどうやったって撮る事の出来ない写真は、僕達人間の根本的弱さにそっと寄り添ってくれているように思える。本作「天国の木」は、死んでしまう事をぼんやりと意識しながら撮り下ろしたシリーズとなっているのだが、それはいずれ訪れる「死」に直面した時、あたふたしないよう備える為、僕の心の弱さに起因していた気がする。だがおそらくその時はこんな事は思い出さないだろうし、撮る写真も見る景色も今とは全く違ってしまうような気がする程、この写真群は当初のコンセプトからすれば結果的に無駄な行為だったと思い知る事になるだろう。僕らの弱さに寄り添ってくれる筈の写真は、時折僕らのそんな甘い期待や想像を最初からなかった事にしてしまうような裏切りもする。つまり写真は僕達人間以上に、人間らしいのである。
ところで、作中に泣いている人の写真が一点あるのだが、あれは写真を見るまで泣いていると知らなかった。どうデフォルメされたとしても、あの涙の意図は当分の間分からないだろう。僕はあの時泣いているとは知らず、おそらく見当違いの感謝の気持ちでシャッターを押していたのだから。

淵上裕太 FUCHIKAMI Yuta

東京台東区にある上野恩賜公園
上野動物園や美術館を訪れるファミリー・カップル
東京芸術大学の学生
朝から晩まで上野オークラ劇場の近くで酒を飲む女装
毎週3回の炊き出しで食いつなぐ路上生活者
多くの種類の人がその場所を共有している。
ある時から、毎日のように同じ場所で早朝から日が暮れるまで自分の自画像を描いている画家を見かけた。とても醜い絵。
画家は言った。「僕は人間にしか興味がないんだ。人間は、とても醜悪で、とても美しい。公園にはいっぱい人がいるだろ。だから、公園で人を見ながら書くんだ」
僕の写真も同じだ。人が怖くてとても興味があった。上野公園を歩き、声をかけ写真を撮る
その写真には、僕やあなたが写っている。

壁番号6

山田 翼 YAMADA Tsubasa

自分の想いなどとは無関係に、世界はいつも圧倒的な存在感で現前し、私を驚かします。

私は、世界が放つ驚きや分からなさ、そのような「言葉なき詩」を、
自分を能う限り無垢の器としながら、写真を通じて世界を観察することで、掬い取りたいと思っています。

そして、そうすることで、世界を理解していきたいと思っています。

石田浩亮 ISHIDA Kosuke

ばらまかれ呼吸するイメージ・共鳴するちから

山本雅紀 YAMAMOTO Masaki

自分の家族をテーマに写真を撮っています。日常のなかにあるユニークで滑稽な、それは決して多くの人に共感してもらえるものではなくても、そんな瞬間を見つけた時に親しみと嬉しさを感じます。この山本家の生態と価値観が自分と家族を作ってきたものであり、自分の根幹だと感じています。そういうものをこれからも見つめていき大切にしたいと思っています。家族をそのまま写真にし、それを見た人が自分の家族や幸せについても考えるようなものであればいいなと思います。

●展示室2

壁番号7

久野梨沙 KUNO Lisa

2017年に東京に拠点を移してから約5年間、都内の樹木を撮影した作品です。
住宅が過密する東京の住宅街で、樹齢数十年、数百年と思われる立派な樹木が存在していることに気づきました。家の塀を押し出すほど力強く成長する様子や、狭い庭のスペースでも負けることなく枝を伸ばす様など、均質化してく街の中で、樹木は“生”を強く感じる存在でした。幹や枝のうねりは、見る角度や光の具合によって表情を変え、その姿は樹が生きてきた時間や各々の個性を表しているように見えました。
樹がまるで人のように見え始めたことから、ポートレートとして捉えることにしました。
東京は変化するスピードが速く、住宅街においても同様で、家の取り壊しとともにほとんどの樹は伐採されてしまうようです。撮影期間中においても、撮影した樹はいくつもなくなってしまいました。
樹のポートレートを通して、変わりゆく東京を記録しておきたいと思います。

壁番号8

久々利 涼 KUKURI Ryo

中京
緊張しやすく人と喋るのが下手な私は、夜に写真を撮り始めた。中学生の頃にこっそりと夜中、家を飛び出し近所を歩いた時には闇に呑まれる感覚だった。別世界に飛び込んだ気がした。
張り詰めた静寂と同化するように、土地を徘徊していく。
日本の中央に位置する日本三大都市の一つ、名古屋を中心とする都市圏のことを中京圏と呼ぶ。中京とは、明治時代に東京と京都の中間に位置する名古屋をその二都市に劣らない都市にしようと当時の名古屋地域の人たちが提唱したらしい。以前は名古屋市を中心に半径30km圏内が中京圏とされていたが、今では交通便が良くなったことでエリアが年々と広がり、近年では私の生まれた町も含まれるようになった。私自身では愛知、三重、岐阜の東海三県にまたがる濃尾平野35km以内こそが中京であると漠然と思っており、今作品ではその円の中を歩いた。私自身この中京圏というものは生まれた時から過ごしてきたが、未だに掴むことのできない存在だ。

長野プラネット
長野県長野市といえば、1998年に行われた長野オリンピック開催地だ。この長野市はオリンピック開催によりインフラは整備され利便の良い都市となった。また、長野市郊外には未だに多くのオリンピック時に建造された施設などが現存している。
オリンピックから20年経った今、長野市のみならず地方全体に言えることだが、人口は緩やかに減少している。一方で東京の人口は年々増えている。大都市へ若者は流出している。私も地方から東京へ出て行った当事者であり、地方を衰退に導いている一人なのかもしれない。メディアなどでは基本東京中心であり地方は二の次である。東京とは様々なものを吸い取るブラックホールであり太陽のような存在ならば、地方はその周りにある惑星のような存在であると私は思う。
長野の盆地のくぼみはクレーターであり、そこで見た数々のものたちに、別の惑星の空気を感じた。

壁番号9

中野翔大朗 NAKANO Shotaro

温泉
家のお風呂とはなんだか違う
みんながはだか
みんなが朗らか
湯気はただよい
お湯がみちみち湯船から溢れている
お湯がいきいきと流れている
肌をなでてこそばゆい
体毛は起き上がり
泡が全身にくっつく
気持ちよさはますます高まっていく

壁番号10

ニッコ・キナッシュ Nikko KNÖSCH

購入していただいた写真は「アムソム」と呼ぶプロジェクトの一部です。
これは私が初めて手がける写真のプロジェクトで、まず小冊子にするつもりですが、方向性が定まり、写真集に発展するように願っています。
アムソムとは私たちのすること、そして私たちのしないこと。アムソムとは交互を意味します。
文中であれば、私たちはここで交互に、あそこで交互にというふうに使えます。
「アム」は優しい、「ソム」は何々のようにを意味します。私たちのように優しければ、私たちは「アムソム」でもあれば、「アムソム」でないともいえるでしょう。

田島朋樹 TAJIMA Tomoki

写真のメリットは、自分以外の生物を対象にしつつも自分本位に作品を作れることです。

この作品群では、私の理想のイメージのままに人間と動物を撮影し、
更に全く関係の無い2つを勝手に結びつけています。

結果としてこれらの生物は、私の理想のオブジェに作り変えられています。

壁番号11

小松桃子 KOMATSU Momoko

幼少期、長い時間を共に過ごした友人がいた。
年を重ね、互いの住む場所が変わり、当時は今よりも簡単に連絡を取り合うツールが少なかったため疎遠になってしまった。そんな友人が亡くなったという噂を耳にした。
友人の死を確かめる事は可能であるのにそれを確かめることもせず、日々ネットに上がる他人の死に触れている。
大切にすべき順序が逆に、そして曖昧になっている。
死とは生きていた頃の“存在”、“生”の貴重さを体感させるものである。
しかしその“死”が身近になったと同時に希薄になりつつある。

美しさと恐ろしさは紙一重だ。

マリー・ヴェングラー Marie WENGLER

マリー・ヴェングラーはデンマーク人のコンセプチュアル写真家、研究者(博士課程)。彼女の創作、研究活動の間には深い結びつきがある。学問研究と創作活動の両面で、ヴェングラーは社会規範がどのように私たちの行動に影響し、また私たちがそれに応じる形で、社会規範にどのように影響をおよぼすかを探る。

具体的には -肉体、精神、セクシュアリティのいずれでも- 「異常」と見なされるものを検証することによって、今日の社会で私たちが「正常」と感知するものの限界を理解することに関心があり、それを通じて正常の感知が時間の経過のなかで(再)構築される有り様を問いただす。女性の肉体と心理はこれまで -そして今も- 社会に行きわたる正常化作用の対象とされるため、女性の視点からの問い直すのである。

幅広い創作活動の中で、《除け者》シリーズは、異常な肉体に着せられた汚名、タブーを扱う。シンディ・シャーマン、ナディア・リー・コーエン、そのほかにも同種の(女性)写真家の伝統に則り、彫刻家が粘土で造形するように、自分自身の肉体を可塑性の素材として扱い、より広範な主張に役立てる。写真一枚毎に意図的に自分自身を演出、変装、変身させることによって、ヴェングラーはセルフ・ポートレートの概念を無効にする。《除け者》の写真はどれをとっても彼女を映していないが、自ら想像し、服を着せ、照明を当て、構成し、撮影し、そしていうまでもなくポーズをつけたままの姿で彼女はそこにいる。そうする過程で、ヴェングラーは社会に存在する肉体の正常性と、それに関連する肉体の異常の感知に関する論議の批評に人間味を添える。

アントワン・ダガタ Antoine d’AGATA

今回の収蔵にあたり、私は、初めて手がけたドキュメンタリー作品《惨めな夜》シリーズを代表する女性のポートレート写真を選びました。この女性たちは実に多くのものを私に与えてくれました。私にはとてもそれだけのものを彼女たちにお返しすることはできません。私もそれなりの犠牲を払わなければなりませんでした。ただ撮るだけ、受け取るだけのためにそこにいるのではないことを証明しなければならなかったのですが、結局のところ、私は、彼女たちが私に与えてくれるほどには、彼女たちに与えることはできませんでした。私は自分から選んでそうした生き方をしてみたのですが、彼女たちは違います。ただの一度として、彼女たちに別の道を選ぶ機会が与えられたことはなかったのです。

初めてラテン・アメリカを旅したのは22歳の年で、写真を始めるずっと前のことです。ヨーロッパの多くの若者と同じように、私にとってメキシコは神秘的、魔法のような土地でした。私にはある政治的な信念があり、そのために娼婦、農民、酔っ払いと付き合おうとしました。彼らを巨人、ギリシア悲劇の登場人物とみなしていたからです。彼らの素晴らしさに夢中になり、心から愛したのです。人間愛を求めつつ、悲劇にも憧れました。なぜなら悲惨な生き方をする人々に、昼日中の会社や街中には決して見られない威厳、美、力、高潔さを見いだしたからです。

新型コロナウイルスの流行にともない、私が以前から感じていたとおり、世界はついに実質を欠いた薄っぺらな、移ろいやすい幻影空間と目に映るようになったのではないでしょうか。大量虐殺が蔓延る現況では、存在は行動と虚無のいずれかを選ばざるをえず、映像はかつてないほどにプロパガンダ化し、卑猥なほどあからさまな行き過ぎた情報流通の手先になりさがってしまいました。存在が一貫して抽象的になり、実在を失い、通俗な歓びが欲望を挫く悪循環に陥っている・・・見世物が、人生を生きるに値するものとする唯一の力である情熱を打ち消し、世界に侵入し、おそらくこれはもはや修復不可能でしょう。私は見世物の武器を捩じ曲げて、同士討ちさせる手法を創り出したいという希望を持ち続けています。私は、こうあるべきと自ら決した者になろうと闘いつづけ、消費主義の支配を押し退け、不満を取り戻し、歴史の主人公としてあらためて名を残し、デジタル信号としてのみ存在することを拒み、危険を冒しても自分自身の運命を自らの手で切り拓く闘いをつづけます。体力のつづくかぎり、この過程を記録しつづけるつもりです。

2022年1月

瀬戸正人 SETO Masato

1982年6月1日、僕は8歳のときに日本に来て以来20年ぶりにバンコクに帰った。何もかも覚えているのだが、言葉だけはどうしても思い出せない。焼けるアスファルトのにおいも、道端で腐りかけている犬の死がいの甘いようなにおいも覚えているのに。しかし、屋台のアセチレンの灯の重たいにおいを吸い込みながら歩きまわっていると、あるとき突然、耳の奥深くひそんでいた言葉が口からとびだした。長いあいだ眠っていた脳細胞が動きだしたのである。

僕の借りた市内のランパー・アパートメント706号室からは、コンクリートの建物がでこぼこに並び、そのすきまにさほど大きくない沼とヤシの木が点在している風景が見えた。町はいつもざわめいていて、人の汗や豚の腸や車の排気ガスなどのにおいが渾然一体となった泥の中につかっているようなものである。2時間も歩けば頭はうっ血状態になり、思考力がうすらいで、真昼の雑踏も自分と何の関係もないように思えてくるのである。だから毎日夕暮れどきが待ちどおしかった。夕陽は長い影をおとし、暮れそうでいてなかなか暮れない。歩く方向はどちらでもいい。どちらに向かって歩いても、やがて夕焼けの赤い空に出くわすし、風上に向かえば必ず川に出る。川岸はいつも風がふいているのである。

写真集『バンコク、ハノイ 1982-1987』1989年、IPC

野口里佳 NOGUCHI Rika

「座標感覚」

私は20歳の時に写真で作品を作り始めました。最初の作品は自宅の近所にあった消防署を撮影したシリーズです。そして作品をつくる楽しさを知った私が次に取り組んだのがこの「座標感覚」というシリーズでした。そのころの私は電車に乗って知らない駅でおり、ぶらぶらと歩いては写真を撮っていました。道に迷うこともよくありました。そんな時に出会ったのがこの「座標感覚」という言葉です。当時読んでいた画家の安野光雅さんが書いたエッセイのタイトルでした。安野さんのいう座標感覚とは、空間的、時間的位置の感覚、世の中と自分との位置関係を確認する感覚のこと。人間にも本来は備わっている感覚なのに、地下に降りたり、水にもぐったり、闇夜に出歩いたり、必要以上の速さで走ったりするから鈍くなっているのだと書かれていました。そうか、それならば、たくさん歩いてなんとかその感覚を取り戻さなければならない。そう考えて作ったのがこの作品です。作品ができてから、シリーズの一点を印刷したハガキを安野さんに送ったところ、お返事がきました。差出人の名前は書かれていません。でもそこには「この座標感覚という写真はいいなあ。私はこういうのが好きなんです。」と書かれていました。今でも私はそのハガキを大切にしていて、時々ふと読み返したりしています。

壁番号12

細江英公 HOSOE Eikoh

いまここに出品している「おとこと女」は、私の26歳から27歳にかけての青年期の叫びであり、証言でもある。これは「性」の問題を写真の問題として正面から取り組もうという、自らに課した姿勢の証しであった。しかし、「性」などという人間存在の根源的な問題を、「写真」という表現手段で、どのような形で如何に表現すべきか、私にとってはあまりにも重い課題であった。だが、若さには不可能を可能にするがむしゃらなエネルギーが備わっており、大人はそれを「めくらヘビにおじず」1)というが、20代の若者がヘビを恐れては新しい何ものも生まれない。

そこで私は友人たちを総動員して、まず舞踏家の土方巽、石崎みどり、永田紀子たちの出演協力と、さらにファッションモデルの石田正子や林ルミを巻き込んでの写真劇場「おとこと女」を主宰、演出した。1959年の秋から60年の春までの6ヵ月間、築地のVIVO2)スタジオと暗室が舞台だった。もはや失敗か成功かは問題外だった。

展覧会の直前、もっとも辛辣な批評家で、もっとも熱心な観客でもある若き写真評論家・福島辰夫の激励を得て、私は80パーセントの自信と20パーセントの不安をもって、1960年5月、銀座・小西六フォトギャラリーでの第二回目の個展にのぞんだ。つい35年前の出来事である。

図録「清里フォトアートミュージアム開館記念企画展:25人の20代の写真」1995年

註1)物事を知らない者は、向こう見ずなことを平気でするという意味。現在では差別語と認識されていますが、昭和30年代には一般的に使用されていた言葉です。どうぞご了承ください。

2)1959年、川田喜久治、佐藤明、丹野章、東松照明、奈良原一高、細江英公によって初めて結成された写真家によるセルフ・エージェンシー。写真家たちの活動の経済的・創作的環境を共同するために設立された。VIVOに参加した写真家たちの活動が、日本の戦後写真史の転換に大きな影響を与えたことから、その名が今日も伝説的なものとして語られている。

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