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Curator’s Choice #9

プラチナ・プリント・ワークショップを終えて(2015年11月7-8日開催) 清里フォトアートミュージアム 学芸員 田村泰男

K・MoPAの基本理念のひとつである<永遠のプラチナ・プリント>。プラチナ・プリント技法による作品の収集・展示と技法の継承を行って参りました。ほぼ毎年1回、ワークショップを開催し、開館20周年の本年で第20回目となりました。これまでに、延べ約200名の方が受講されています。「プラチナ・プリント収蔵作品展:永遠の時、きらめく」を会期中の11月7日、8日の2日間にわたり開催いたしました。その内容をご紹介いたします。

<プラチナ・プリント作品鑑賞>

本ワークショップの講師は、日本で最初にこの手塗りの技法をマスターされた細江賢治氏。今回の参加者は6名で、写真家、芸術家、彫刻家、大学教授など多彩な顔ぶれとなりました。1日目の午前中、まずはプラチナ・プリントの歴史をひも解くべく、講師の解説を聞きながら、展覧会を見ていきました。 K・MoPAの基本理念のひとつである<永遠のプラチナ・プリント>。プラチナ・プリント技法による作品の収集・展示と技法の継承を行って参りました。ほぼ毎年1回、ワークショップを開催し、開館20周年の本年で第20回目となりました。これまでに、延べ約200名の方が受講されています。「プラチナ・プリント収蔵作品展:永遠の時、きらめく」を会期中の11月7日、8日の2日間にわたり開催いたしました。その内容をご紹介いたします。

<プラチナ・プリント作品鑑賞>

志鎌 猛氏、展示室にて

 

本ワークショップの講師は、日本で最初にこの手塗りの技法をマスターされた細江賢治氏。今回の参加者は6名で、写真家、芸術家、彫刻家、大学教授など多彩な顔ぶれとなりました。1日目の午前中、まずはプラチナ・プリントの歴史をひも解くべく、講師の解説を聞きながら、展覧会を見ていきました。 _DSC3700-1_DSC3707-1  まず、プラチナ・プリント技法を発明したウィリアム・ウリス・ジュニアの作品(1878年)から始まり、20世紀初頭のピクトリアリズム作品、そして近・現代まで多様な写真表現をじっくりと鑑賞しました。また、講師が持参くださった作品を鑑賞。こちらはガラス無しでプリントを間近に見られるまたとない機会でした。 本展でも展示している志鎌猛氏は、このワークショップを受講したことを機にプラチナ・プリント作品に目覚め、今や欧米にて広く活躍されています。ぜひ“第二の志鎌さん”を目指しいて欲しい、と講師からも思わず応援コメントが。 _DSC3723-1_DSC3726-1 展覧会をご覧になるため10月来館された志鎌氏とご自身の作品です。展示作品は、森をテーマに撮影を始め、初めて「写った」と確信した一枚だったと言います。

<撮影とプラチナ・プリント用ネガ作り>

次にプラチナ・プリント用のネガを作るため、参加者のポートレイトを撮影します。本ワークショップで使うネガは4×5インチのフィルムです。講師が4×5の大型カメラで2枚撮影し、このネガからプラチナ・プリントを制作します。プラチナ・プリントは100年、200年残ると聞いて、みなさんが緊張ぎみになるのも仕方ありませんね。 ポートレイト撮影風景です。 _DSC3731-1

<フィルム現像>

フィルム現像はジョボ(Jobo)という現像処理機を使用しています。黒い円筒形のタンクに4×5フィルムを入れ、薬品を注入し、モーターでタンクを回転させて現像処理を行います。 一度に4×5フィルムは10枚まで、同時に液温管理、攪拌、処理時間を厳密に行うことができる、優れたものですが、残念ながら現在は販売されておりません。 現像中のジョボです。 _DSC3736-1

<ネガのチェック>

現像が終わり、ネガをチェックしています。プラチナ・プリントは、感度が低いため、通常の銀塩プリント用よりも濃度の濃い(コントラストの高い)ネガを作ります。 _DSC3759-1_DSC3764-1

<印画紙を作る> ガが出来上がったら、プラチナ・プリントの印画紙を作ります。印画紙に使用する紙(支持紙)は、版画用紙、水彩用紙などを使います。4×5インチのネガより大きめの用紙上に、薬品を塗布する位置を、鉛筆で印します。そして、紙の水分をとばすため、ドライヤーの温風を当てて乾かします。 _DSC3803-1

<乳剤を塗布>

ビーカーにスポイトで、必要な量の薬品を入れます。薬品は「プラチナ・プリント・キット」として市販されているものを使用し、ネガの濃度や好みの色調に合わせて調合します。プラチナのみですと赤みの無い灰色の色調となりますが、パラジウムを混ぜると茶褐色となります。この液体に直接触れると被れる危険があるため、薬品の扱いには炊事用のゴム手袋が必需品です。 _DSC3791-1 先ほどドライヤーで乾燥させた用紙に薬品を塗布していきます。紙が吸ってしまう前に、サッサッと力を入れずに、ムラの出ないよう手早く塗っていきます。 _DSC3773-1_DSC3796-1  塗布後10分間自然乾燥させてからドライヤーで表裏を乾燥させます。この際にはガスが出るので、マスクをしてドライヤーをかけます。(本ワークショップのプリントは小さいので、リスクは少ないのですが、念のためマスクをしていただいております) _DSC3800-1マスク

<露光>

プラチナ・プリントは鉄塩の感光性を利用します。銀塩印画紙に比べて感度が低いため、引伸ばしはできません。また、紫外線にしか感光しないため、本ワークショップでは日焼け用の器具(サンライト)を使って露光しています。印画紙の上にネガを置き、ガラスを乗せて密着させ、紫外線で5分前後露光します。通常の暗室は、安全光(赤ランプ)での作業ですが、プラチナ・プリントは感度が低いため、それよりも明るい照明下で作業することができます。 _DSC3740-1_DSC3781-1

<プリント現像>

バット(皿)に、露光が終わった印画紙の表を上にして置き、現像液を一気にかけます。 通常、モノクロ印画紙はじわりと画像が現れるのに対して、プラチナ・プリントは、現像液をかけると一瞬にして画像が現れます。右側の写真をご覧ください。まだ、現像液が注ぎ終わってないのに画像が現れています。この際、現像液が目に入ると大変危険ですので、ゴーグルと手袋をして作業をします。 _DSC3744-1_DSC3745-1_DSC3749-1  2分間の現像後、銀塩写真の定着にあたる「洗浄作業」を3回行います。クエン酸で洗浄することにより未露光の鉄塩を洗い流します。洗浄後に「水洗」、「乾燥」してプリントの完成です。乾燥すると調子が変わるため、必ず乾燥させてから、講師が仕上がりをチェックし、2枚目の薬品の調合割合や露光時間の変更を指示してから次のプリントに取りかかります。 _DSC3752-1_DSC3812-1

<さいごに>

本ワークショップでは、紙の種類を変えて、合計4枚のプリントを仕上げました。最後に講師が講評し、参加者の感想を伺いました。早速、ご自宅でプリントするために材料を注文された方や、「プラチナ・プリントが自分にどういう意味があるのか考えて、この技法が新しい世界を開いてくれるのか試してみたい。」「印画紙を自分で作れるなんて夢のよう。ネガをどう作るかがポイント。 必ず自分でもやります。」「写真を現像したのは初めて。新しいことにチャレンジすることは本当に面白い!」「プラチナ・プリントで版画の問題が解決しました。版画の技術を活かせる技法だと思います。」など、非常に積極的な感想をいただきました。 _DSC3827-1

平野正樹氏

平野正樹氏

山口雄太郎氏

山口雄太郎氏

 

水越康至氏

水越康至氏

高島真笑庵氏

高島真笑庵氏

 

笹井弘氏

笹井弘氏

小林泰彦氏

小林泰彦氏

プラチナ・プリント・ワークショップのお申込みは当館ホームページで随時受け付けております。定員に近づきましたら、当館より開催日程をお知らせいたします。次回は是非やってみたいという方は、どうぞホームページからお申し込みください。現像は初めてという方でも、講師が丁寧に指導いたします。「故(ふる)きを温(たず)ね新しきを知る」と言いますが、普段の撮影はスマホで、という方も、19世紀の写真技法によって出来上がった陰影の美しいご自身のポートレイトをご覧になると、1枚の写真に対する思いが変わるかもしれません。皆様のご参加をお待ちしております。

Curator’s Choice #5

清里フォトアートミュージアム 主任学芸員 山地 裕子

今年で20周年となるヤング・ポートフォリオ。この間、国内・海外ともに、YP作家の中から写真教育に携わる人が多数出て来ました。さらに嬉しいことに、彼らの教え子がYPに応募し、収蔵となる例も出ています。たとえば、2014年8月に開催した「原点を、永遠に。」展においても、ポーランドのヴォイチェフ・スラーマの隣に展示していたのは、スラーマの教え子、ヤン・ヴァラの作品。バングラデシュのS.M.カコンはG.M.B. アカシュの教え子、国内では、有元伸也、元田敬三らが、東京ビジュアルアーツで教えた頭山ゆう紀やERIC、原田崇孝、石倉徳弘、九州産業大学の百瀬俊哉の教え子だった今村卓馬など、YPを卒業した作家が、次世代のYP作家を生み出しているのです。今後もこのような関係は、続々と生まれてくることでしょう。 YPに応募して、作品を収蔵されたことに、アーティストとしてどのような意味があると感じたのか。当然のことながら、実際に体験した彼らの言葉が最も力を持っているのです。 昨年、YP卒業作家のヤニス・ガラノプロス(ギリシャ、1976年)が、アラブ首長国連邦(UAE)の大学で写真を教え始めたことを知りました。若手作家としての活動と同時に、後進を指導する立場を務めることの面白さ、生徒と向き合うことについて、たずねてみました。

<これまでの活動>

Yiannis Galanopoulos, Untitled. Series: Update City #05 2006-2008

Yiannis Galanopoulos, Untitled. Series: Update City #05 2006-2008

私、ヤニス・ガラノプロスは、ビジュアル・アーティストとして、13年間活動してきました。さまざまなメディアに加え、写真は、アナログとデジタルの両方で制作しています。?作品やテクニックは、数えきれないほど多くの人のポートフォリオを見ることから影響を受け、確立されたと思っています。私の作品の一部はhttp://lefteyer.com(Yiannis Galanopoulos photography)にてご覧いただけます。

Yiannis Galanopoulos, Untitled. Series: Update City #06 2006-2008

Yiannis Galanopoulos, Untitled. Series: Update City #06 2006-2008

アテネ技術大学(Technological University of Athens)にて写真と視聴覚芸術を専攻した後、オールド・ドミニオン大学(米バージニア州ノーフォーク)にて人文科学の修士号を、ノーフォーク州立大学(米バージニア州ノーフォーク)にて視覚学を専攻し、芸術学学位を取得しました。 私とK’MoPAとの関係は、2009年度ヤング・ポートフォリオ(YP)に作品を応募した時からはじまりました。2009年度YPには、41カ国からの407人、8407の応募があり、江成常夫氏と須田一政氏と細江館長による選考により、私の6枚の作品が購入となり、パーマネント・コレクションとなったのです。 現在、私はアル・アインにあるアラブ首長国連邦大学(United Arab Emirates University)の人文科学/社会科学部、英文学/芸術学部の講師を勤め、写真などのアートを教えて一年以上になります。アル・アインはアラブ首長国連邦第二の都市で、アブダビの東部に位置しています。

アラブ首長国連邦大学(UAEU)

アラブ首長国連邦大学(UAEU)

 

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アラブ首長国連邦大学(UAEU)

<ガラノプロスへの質問> K’MoPA:あなたが作品を作るときに最も大切にしていることや考え方は?

ガラノプロス:全てに共通する感覚として、私は写真での制作を自己実現と自由の応用表現だと思っています。作品を制作することは、流動的なプロセスですが、自分の中のコアな部分が、クリエイティブな仕事を押し上げてくれるものと確信していますし、新たな発見への期待、実験的なバージョニングの必要性、また、私が遭遇する場所や人の顔やモノの新しいバージョンとコミュニケートすることの必要性、新しいバージョンの発見、テーマの構成など、どうしたら写真家自身にとって満足の行く、そして見る人にとって利用価値のあるものにするか、そういったことが、私の中に浮かんできます。

Yiannis Galanopoulos, Untitled. Series: Update City #08 2006-2008

Yiannis Galanopoulos, Untitled. Series: Update City #08 2006-2008

Yiannis Galanopoulos, Untitled. Series: Update City #20 2006-2008

Yiannis Galanopoulos, Untitled. Series: Update City #20 2006-2008

K’MoPA:写真を教える時に、あなたにとって最も重要なことは?

ガラノプロス:私は、すべての授業を始める瞬間から“自分自身を学生の靴に入れる”ことから始めます。 写真に写されたイメージが好きな人にとって、写真にも、テクニックにも善し悪しはありません。私がしようとしていることは、言ってみれば、まずイメージに惚れ込むことが生徒たちにとって必要な刺激を与えることになるということでしょうか。そこから彼らは写真家になっていくのではないかと思います。

K’MoPA:あなたがUAEUで写真を教えていて、最も印象に残ったことは?

ガラノプロス:私のファインアート写真の授業では、これまで500人以上の生徒を教えて来ました。ほとんどが全くの初心者ですが、UAEの若者の生の才能を高く評価しています。同時に、自分と異なる文化的背景を持つ若いアーティストに対し、私自身の制作プロセスや知識を伝えることの難しさも私は受け入れてきました。おそらく、本当の意味で受け入れることができるようになったときに、私も写真の教育者としてベテランの域に達するのではないでしょうか。大学で美術の学位を取得する事も一つですが、個人の作品制作のためにだけに自分の持っているものを使うのではなく、他者の発展ために使うことができたら、さらにダイナミックだし、私自身の満足度が高まるのではないかと思っています。

?Tasneem Abdullatif Rashid

ⒸTasneem Abdullatif Rashid

?Raya Al Humaidi

ⒸRaya Al Humaidi

?Najla Mohammed

ⒸNajla Mohammed

?Haneefa Murad Abdulla

ⒸHaneefa Murad Abdulla

?Noura Mohammed Nasser

ⒸNoura Mohammed Nasser

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ⒸAlia Mubarak AlAhbabi

K’MoPA:他の国でも写真を教えたことがありますか?その場所で感じた生徒たちの写真への姿勢や特質との違いは?

ガラノプロス:パリに住んでいた一年の間に写真を教えていましたが、大学ではなく、プライベートな講座でした。生徒たちは、どちらかというと年配で、すでに基本的な写真の技術は持っている人々。そこでは、クラスの他の生徒の仕事を読み解き、彼らの作品の美的な部分や、写真作品のポートフォリオを効果的に作り上げる方法を議論することに多くの時間を使いました。私の見方では、場所が写真への姿勢に影響するということはありません。それぞれの生徒が学ぼうとしているレベルが異なるというだけです。私の授業、世界のどこであっても、生徒が求めているものと将来への抱負に添う“特注”となります。

K’MoPA:UAEには、写真の美術館やギャラリー、雑誌などはありますか?

ガラノプロス:UAEには、写真専門の美術館や雑誌はありませんが、写真協会、コンテスト、写真を展示するギャラリーは多数あります。この地域は、ジャンルを問わずアートの発展が著しく、アブダビのサーディヤット文化地区は近い将来、カルチャー&アートシーンの中心となることは間違いありません。地元の国際的コミュニティは、シェイク・ザーイド国立博物館、ルーヴル・アブダビ、そしてグッゲンハイム・アブダビの完成を心待ちにしています。サーディヤット島はすでに、この地域の文化・芸術の中心的な役割を担い、非常に活発です。さまざまな展覧会、スペシャル・イベント、世界的に著名なアブダビアートフェアなどのフェア、教育普及プログラムなどが、マナラット・アル・サーディヤットとUAEパビリオンの二つのスペースで行われています。 ドバイまでは、サーディヤット・アブダビから約1時間足らず。多文化として長い歴史を持つドバイには、90もの地元および国際的なギャラリーがあります。ドバイは、中東、アフリカ、南アジア地域における最大のアートフェアである「アート・ドバイ」が開催される国。2020年のWorldExpo開催地でもあります。 また、ドバイから1時間のシャールジャ首長国もエネルギッシュな国で、アートビエンナーレが行われるほか、歴史的地区には、美術館やギャラリーもあります。こういった事実を見ると、アラブ首長国連邦が、ガソリンと燃料によって急成長している、ビジネスだけを目的とした地域ではないことがおわかりでしょう。(長年間誤った見方をされてきましたが)むしろ、芸術・文化教育にとってとても魅力的な場所なのです。リンクトイン・コーポレーションによる最近の調査によると、人々の心や才能を惹き付ける、他国のモデルとなるような地域の一位がドバイであるという結果が出ているそうです。今日のペースの早い社会において、より多くの人が、この文化的に多様なコミュニティに参加していくことが、大変期待されているのです。

* * *

ドバイを中心にアートマーケットが活況を呈している中東。“超”巨大な美術館建設計画も進んでいます。アラブ首長国連邦においても、高まりつつある写真表現への沸き出すような興味。もの凄いスピードで変化する中東において、今後どのようなイメージが生みだされるのでしょうか。アラブ首長国連邦大学(United Arab Emirates University)のような全く新しい教育機関で、欧米の若手写真家が新しい技術、考え方を、真っ新な若手に説いて行く。異なる文化との接触により、教える側の写真の見方に大きな影響をもたらす可能性もあるのかもしれません。今後、大きなうねりを生み出す地域のひとつとして、中東から目が離せません。

Curator’s Choice #7

K・MoPA開館20周年記念「未来への遺産:写真報道の理念に捧ぐ」展について② 清里フォトアートミュージアム 主任学芸員 山地 裕子

前回ご紹介したように「未来への遺産:写真報道の理念に捧ぐ」展のベースとなった展覧会は、半世紀前にコーネル・キャパがニューヨークで企画・構成した“The Concerned Photographer”展だった。原題のconcernという言葉の和訳は、一言で表現するのが難しいが、関心、懸念といった意味を持っている。政治家などがI am deeply concernedと言う場合は、何かについて懸念がある、または憂慮しているという意味になる。The Concerned Photographerを訳すと、社会を憂う写真家、思いやりのある写真家などとなるが、さらに正確に言おうとすれば「世の中に関心を持ち、その状況について改善の必要があると感じている写真家」ということになるだろう。つまり日本語では一言に収まらないのが唯一の難点だが、キーワードとなる言葉なので、ここでは「コンサーンド・フォトグラファー」と、そのまま使用させていただきたい。

銀座・松屋内展覧会場でのアンドレ・ケルテス(右)とコーネル・キャパ(左)、1968年      ?Hiroji Kubota / Magnum Photos

銀座・松屋内展覧会場でのアンドレ・ケルテス(右)とコーネル・キャパ(左)、1968年     
ⒸHiroji Kubota / Magnum Photos

<コンサーンド・フォトグラファーの誕生>

写真家コーネル・キャパが、この展覧会を開催したことが、なぜフォトジャーナリズムの新たな活躍の扉をこじ開けたこととなったのか、その理由は、当時未だ報道写真の主な発表媒体が雑誌に限定されていたことにある。 イニシアチブはあくまでも編集者にあり、編集方針に従って写真家は取材に向かい、撮影して来た写真は編集者の判断に拠ってトリミングされるなど、写真はいわば編集材料として使われていた。しかし、「コンサーンド・フォトグラファー」たちは、撮影に関して、自分たちが積極的に関心を持ち、必要な時間をかけ、自身の主張を写真によって明らかにしようとする写真家だった。その思いを共有していた兄ロバート・キャパをはじめ、デイヴィッド・シーモア、ワーナー・ビショフらが、1950年代、取材中の事故で相次いで亡くなった。彼らが残した写真の行く末はどうなるのか。写真が失われれば、人々の記憶からも永遠に消え去られてしまうのか。 強い危惧を抱いたコーネル・キャパは、ビショフ未亡人、シーモアの妹とともに、3人の写真家の記念基金を作り、写真集を出版し、若いフォトジャーナリストに賞を出したが、それでも足りないという思いが次第に募っていった。そして、1967年、本展覧会のベースとなった6人の写真家による”The Concerned Photographer”展を企画し、ニューヨークを皮切りに欧米各地を巡回させた。すると、展覧会は、多くの観客を動員し、図録も売れる という快挙を成し遂げた。これらの写真が、印刷物に限らず、ギャラリーの壁に展示する作品としても高い評価を得られたことが、コーネル・キャパの写真美術館設立の確信に繋がって行ったのである。

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