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「J.H.ラルティーグ氏の優雅で幸せな写真生活」


「J.H.ラルティーグ氏の優雅で幸せな写真生活」
Bonjour Monsieur Lartigue

会 期 :2004年6月26日(土)〜10月24日(日)
毎週火曜日(祝日の場合は開館)、(7、8月は無休)


主催: 清里フォトアートミュージアム
     Kiyosato Museum of Photographic Arts(K'MoPA)
後援:フランス大使館
協力:
L'Association des Amis de Jacques Henri Lartigue


[開催趣旨]

 清里フォトアートミュージアムは、三つの基本理念、「生命(いのち)あるものへの共感」「永遠のプラチナ・プリント」「若い力の写真:ヤング・ポートフォリオ」に基づき、収集・展示を行っております。
 このたび、清里フォトアートミュージアムでは、フランスを代表する写真家ジャック・アンリ・ラルティーグの回顧展「J.H.ラルティーグ氏の優雅で幸せな写真生活」を開催いたします。


「ZYX(ジスー)24号」を引くピルー、ジスー、ジョルジュ、ルイ。
デデとロベールも飛行を手伝う
ルーザ 1910年9月
Photographie Jacques Henri Lartigue
《1910, septembre. Rouzat
Le ZYX 24 s'envole...Piroux, Zissou, Georges, Louis.
Dédé et Robert essaient de s'envoler aussi.》
[禁無断転載]
© Ministère de la culture - France / AAJHL

カロリーヌ叔母、プラントヴィーニュ氏
バス=ノルマンディー地方、ヴィレルヴィル 1906年
Photographie Jacques Henri Lartigue
《1906. Villerville.
La cousine Caro et M. Plantevigne》
[禁無断転載]
© Ministère de la culture - France / AAJHL

 ジャック・アンリ・ラルティーグは、1894年パリ郊外の裕福な家庭に生まれました。1900年、6歳のラルティーグ少年は日記に書いています。「パパは神様そのもの。僕に本物のカメラを買ってくれると言ったんだ。(...)これですべてを写真に撮ることができる。すべて。すべてを!」銀行家の父は息子に高価なカメラを贈り、以来ラルティーグは日記を書き綴ることと並行して写真を撮り、1986年ニースで92歳の生涯を閉じるまでおよそ20万枚もの写真を撮影したのです。

「ボブ」のレース、ルイとジャン
ルーザ 1911年9月
Photographie Jacques Henri Lartigue
《1911, septembre. Rouzat.
Course de bobs. Louis, Jean. 》
[禁無断掲載]
© Ministère de la culture - France / AAJHL


 少年がカメラを手にしたのは〈ベル・エポック〉とよばれた華やかな時代でした。パリでは様々な芸術が開花し、女性のファッションをはじめ、車、飛行機など最新技術の創造的活力に満ちあふれていました。ラルティーグを取り囲む環境も、上流社会の良識(ボン・サンス)と良い趣味(ボン・グー)に彩られ、また日々変化する目新しさに少年の好奇心は惹きつけられていました。


ジスー考案の「タイヤボート」
ルーザ 1911年
Photographie Jacques Henri Lartigue
《1911. Rouzat. Zissou》
[禁無断掲載]
© Ministère de la culture - France / AAJHL


おばあちゃん、ママン、僕と2台目の愛機9×12版カメラ、兄のジスー(パパ撮影)
パリ・ブーローニュの森 1903年
Photographie Jacques Henri Lartigue
《1903. Paris. Grand-Mére, Maman et moi avec ma jumelle 9x12, au Bois de Boulogne. Photo Papa. 》

[禁無断掲載]
© Ministère de la culture - France / AAJHL



 20代より画家として活動し、芸術家や作家とも盛んに交流のあったラルティーグは、1955年仲間たちと写真展を開催。後に1963年、ニューヨーク近代美術館にて写真による個展が開催されて初めて、ラルティーグは69歳で“写真家”となったのです。少年の無邪気な遊び心に満ちた眼差し、自然体で屈託のない写真は瞬く間に広く知られ、今も世界中で愛されています。



大西洋を臨む「処女の岩礁」に立つサラ
ビアリッツ 1927年8月
Photographie Jacques Henri Lartigue
《1927, août Biarritz.
Sala au Rocher de la Vierge.》

[禁無断掲載]
© Ministère de la culture - France / AAJHL

ビビ、ルーザ 1923年9月
Photographie Jacques Henri Lartigue
《1923, septembre. Rouzat. Bibi.》
[禁無断掲載]
© Ministère de la culture - France / AAJHL

 ラルティーグにとって写真は公表するためのものではなく、日常生活の中で心動かされる瞬間を記録し、アルバムにして家族や友人に見せて楽しみを共有するためのものでした。「写真を撮るということは、(自分が)存在することの楽しさと、自分の世界を見つめるものである」と述べているように、ラルティーグの写真は、生きた証であり、愛し、愛された幸せの証であったと言えるのではないでしょうか。

パリのルネ 1931年5月
Photographie Jacques Henri Lartigue
《1931, mai. Renée a Paris.》
[禁無断掲載]
© Ministère de la culture - France / AAJHL

 本展は、写真家自身の構成によって、1980年パリのグラン・パレにて展示されたものです。
当時と同じ作品全155点に加え、プラチナ・プリント作品を展示いたします。

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