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Curator’s Choice #3

名川明宏写真集「時空間の粒子」

清里フォトアートミュージアム 主任学芸員 山地 裕子
名川明宏《Arabia Felix》1996 ?Akihiro Nagawa

名川明宏《Arabia Felix》1996
ⒸAkihiro Nagawa

昨年10月、名川明宏(1971)の写真集「時空間の粒子」(冬青社)が出版され、今年になって、ようやく手にすることができた。名川の作品は、1998、1999、2000年度ヤング・ポートフォリオ(YP)にて15点を収蔵しているが、その表紙はヤング・ポートフォリオで収蔵した作品とは異なる表情をしている。YPの作品は、すべて中東イエメンで撮影されている。当時、イエメンの伝統的な建築と街に魅了された名川は、そこに住む人々の暮らし全体を包み込む時空間を表現しようと、さまざまな光、角度から、街の佇まいを捉えていた。イエメン独特の建造物が画面を満たし、大型カメラで丁寧に凝縮されたその空間は、異国の街の息づかいを生き生きと伝えている。

名川明宏『時空間の粒子』(冬青社、2014年)

名川明宏『時空間の粒子』(冬青社、2014年)

一方、「時空間の粒子」はまず、すべて国内での撮影ある。私自身も見覚えのある都内各所が多い。しかし主役は、ビルの隙間の先にスコンと広がる淡い水色の空や、空を映しながら穏やかに漂う水。写真のすべてが水のある風景なのである。河川敷のちょっとしたスペースに作られた公園、橋、港湾、護岸、運河、そしてリバーサイドのマンション群など、普段敢えて目を凝らして見ることのない風景が淡々と、しかし非常に緻密に切り取られ、繰り返されている。東京は、江戸時代から水を管理し、埋め立てることで成り立ってきたという歴史を持つが、それを普段の生活で意識することは少ない。一定のリズムの波に乗って、あるいは海沿いの風に乗って旋回する鳥のように、ページをめくる愉しさに浸った後、巻末のテキストを読んで知ったのは、名川が現在は建築写真家になっていたことや、川崎市水道局に勤務していた父親が、15歳の時に勤務中の事故で亡くなったことだった。生前よく父親は「川崎の水はうまい」と話していたという。

0723写真は、すべてが縦位置で、のびやかな目線が心地よい。8歳になる娘と一緒に百人一首の暗唱をしていたという名川は、ある河川敷で「水の中の粒子 空の先の銀河」という言葉がふと口をついて出たという。以来、撮影はその言葉に導かれて進んだ。

人は空と水に生かされて、命が育まれている。水路は都市の血管のように存在しているのに、普段はいっさい視界に入らず、その気配を消しているようだ。空間を埋める建造物から視線を切り離して、ようやく見えてくる空や水。写真家自身も父親となった今、大切に思う日々の暮らしと、水を巡るさまざまな風景とが重なり合い、織りなす美しい時間の粒子がそこに見えている。

 

・名川明宏(ながわ あきひろ)略歴

1971年、神奈川県川崎市に生まれる。1999年、日本大学大学院芸術学科映像芸術専攻修了。展覧会には、個展「イエメン 時の往来」(銀座ニコンサロン、1999年)、グループ展「第14回 ひとつぼ展」(ガーディアン・ガーデン、1999年)などがある。コレクション:清里フォトアートミュージアム(1998, 1999, 2000年度)

Curator’s Choice #2

テグ・フォト・ビエンナーレに参加して

清里フォトアートミュージアム 主任学芸員 山地 裕子

韓国・大邱(テグ)にて、テグ・フォト・ビエンナーレが2014年9月12日から10月19日まで開催された。テグは韓国第三の都市で、ソウル駅から電車で2時間。写真文化をリードする街として、2006年から始めた国際的なフォト・ビエンナーレは今回で5回目となる。

フォト・ビエンナーレ会場のテグ・カルチャー&アート・センター

フォト・ビエンナーレ会場のテグ・カルチャー&アート・センター

オープニング・レセプションにて

9月12日オープニング・レセプションにて

 

 

 

写真は、9月12日のオープニングでのスナップ。写真右からガーディアン・ガーデンのプランニングディレクター菅沼比呂志氏、ビエンナーレの展覧会「Origins, Memories & Parodies」に作品を出品した山本昌男氏、同じくLost & Found Projectを展示の高橋宗正氏(YP作家)、展覧会アソシエイト・キュレーターのモーリッツ・ノイミュラーのアシスタントを務めていた下西進氏(YP作家)、KMoPA山地、そして東京都写真美術館・学芸員の伊藤貴弘氏である。菅沼氏と私は9月13、14日の2日間で30名の写真家のポートフォリオ・レビューを行った。また、9月15日には、テグやその他の都市から集まった写真教育に携わる方々、学生・大学院生などを対象に、ヤング・ポートフォリオについてのスライド・レクチャーを行う機会をいただいた。

9月15日スライド・ショー会場

9月15日スライド・ショー会場

ビエンナーレ会場風景

ビエンナーレ会場風景中央・左の作品はMarcos Lopez

山本昌男氏の作品は壁面と、祈りの象徴である折り鶴を自由に折れるよう、 小さなちゃぶ台が用意されていた。

山本昌男氏の作品は壁面と、祈りの象徴である折り鶴を自由に折れるよう、
小さなちゃぶ台が用意されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

BO MU(中国)によるインスタレーション

BO MU(中国)によるインスタレーション

Yang Yongliang(中国)展示風景

Yang Yongliang(中国)展示風景

 

今回のビエンナーレのテーマは、Photographic Narrative (写真的な文脈)。メインとなる展覧会のテーマは「Origins, Memories & Parodies」で、日本からは山本昌男、Lost & Found Project、韓国からYP作家の若手ハン・スンピルなど、全32作家の作品が展示された。キュレーターはスペインのアレハンドロ・カステローテ。写真の歴史が始まってから、‘機械の目を通した客観的な記録’とみなされてきた写真の意味を新たに探ろうとするものだ。21世紀の文化的・社会的環境のコンテキスト内で起こっていることと、その原点となるもの、そして撮影されたもの(写真)の存在意義をテーマとして新しい解釈を提案する。写真が、いかに多様な機能や意味を持つものであるかを体感することができる。大型の作品が多く、非常に大規模な展示だ。別の会場にて報道写真家による「WOMEN IN WAR」展も開催されていた。その会場の一角にあったのは従軍慰安婦の作品展示。「真実の記憶」(Memory of Truth)とサブタイトルのプリントされた壁面には、等身大の若い女性のオブジェが一人だけ腰掛けている。絶えることのない痛みの深さを伝えていた。

Women in War 展併設の従軍慰安婦展会場

Women in War 展併設の従軍慰安婦展会場

 

ポートフォリオ・レビュー「ENCOUNTER」は、展覧会場とは別に、滞在していたホテルにて行われた。広い一室に韓国・海外が約半々の23人のレビューワーがおり、作家がポートフォリオを持って、20分ごとに異なるレビューワーの元に移動する。一人の作家が一日10人のレビューを受けることができる。レビューを受ける作家たちは、3人が日本から参加していた以外はすべて韓国国内から。年齢も幅広くキャリアも学生からプロまでさまざまだ。海外のレビューワーは、英語でレビューを行い、韓国語の通訳が入る。そのため時間はかなり限られるが、自分の作品について熱く語る作家が多いので、毎回制限時間いっぱいまで、こちらもがっぷり四つの取り組みとなった。1日に15人のレビューを2日間連続して行うという、ややマラソン的なスケジュールだったが、めくるめく個性の連続は、非常に楽しい時間だった。

 

Wendy Watriss, Fotofest共同創立者

Wendy Watriss, Fotofest共同創立者

LensCulture代表、Jim Casper

LensCulture代表、Jim Casper

韓国を代表する写真家クー・ボンチャン(右)

韓国を代表する写真家クー・ボンチャン(右)

Irene Attinger, Maison Europenne de la Photorgraphie

Irene Attinger, Maison Europenne de la Photorgraphie

 

レビューワーの中の長老は、何と言ってもウェンディ・ワトリスとフレッド・ボールドウィン。現在80代半ばという二人はヒューストン・フォトフェストの共同創立者であり、1998年にはKMoPAが主催した国際会議オラクルに出席するため、当館に来館している。カステローテも、レビューワーで韓国を代表する写真家のクー・ボンチャンとも、私にとってはオラクル以来の再会となった。ワトリスは、1960年代、すでにフォトジャーナリストとしてキャリアを始め、以来キュレーター、ライターとして国際的に活躍。写真家を発掘し、世に送り出すことへの尽きないエネルギーには胸を打たれる。2013年にKMoPAにて開催した「森ヲ思フ」展にて作品を展示した志鎌猛氏は、2009年にヒューストン・フォトフェストのInternational Discoveries IIに招待されており、ワトリスは、早くから志鎌氏の作品を高く評価していたのだ。志鎌氏の活躍が確実に広がりつつあることを共に喜んだ。

 

このENCOUNTERから選ばれる3?4人は、次回のビエンナーレにて作品を展示することができるシステムとなっている。また、海外のキュレーター、フォトフェスティバルのディレクター、ギャラリストらに作品を見せ、海外での発表の機会へつなげたいという意図で、多くの作家たちが申し込み、事前審査を経た作家たちは真剣そのものだった。もちろんギャラリストやキュレーターは作家とのまさにENCOUNTER(出会い、遭遇)を期待している。

LIM Tae Hoon, “ Division Tour, ” 2007 (板門店にて韓国の軍人と記念撮影をする外国人観光客) ?Lim Tae Hoon

LIM Tae Hoon, “ Division Tour, ” 2007
(板門店にて韓国の軍人と記念撮影をする外国人観光客)
?Lim?Tae Hoon

沈學哲SHEN Xue Zhe, “Tourist Group on Tumen Customs Bridge,” 2010 ?Shen Xue Zhe

沈學哲SHEN Xue Zhe, “Tourist Group on Tumen Customs Bridge,” 2010
?Shen?Xue Zhe

ポートフォリオの中で最も多かったのは、韓国国境をめぐる作品だ。Youngchuel Jiによる地球上の38度線を撮影する壮大なプロジェクト“north latitude 38°”や、LIM Tae HoonによるDMZ(北朝鮮との軍事境界線)を見る観光ツアーのドキュメンタリー“Division Tour”、写真家自身が兵役に付きながら密かにカメラを持ちこんで撮影した作品、国境を流れる河を両側から捉えた中国の写真家SHEN Xue Zheなど、まず何よりも、この国の抱える日常的な緊張感の高さを強く感じた。

また、非常に繊細な伝統的な墨絵をイメージさせる作品などに技術的な高さを感じる一方、多くの女性が就職や結婚のために美容整形を受ける現状を取材したLEE Seung Hongのプロジェクトも衝撃的だった。あるいは、厳しい受験戦争を経て法学部へ進学したのに、写真家になろうとドイツへ留学し、両親を悲しませた自分自身の経験から制作した“THE GUILTY”(罪悪感)というJi Hyun KWONの作品は、街で偶然見かけた人に自分の経験(両親の期待を裏切った)を話し、彼または彼女にも罪悪感を感じることがあれば写真を撮影させて欲しいと依頼。後日室内にて、彼・彼女自身が罪悪感を感じていることを自身の顔に書いて撮影するというシリーズ。また、韓国の小学生が受験のためにスピーチ教室へ通ったり、バレエ・ダンス・サッカー・乗馬とさまざまな英才教育を受けさせる現状を撮影したSung Hee Jinの“BUSY KID”など韓国社会が抱えるさまざまな矛盾や違和感を捉えようとする作家が非常に多く、歴史と伝統を敬い、作品に取り込みながら、どのように時代や自己を表現するかという問題意識の高さを感じた。街中でのスナップが肖像権の問題からほぼ不可能という事情もあり、被写体との合意が得られるもの、セルフポートレイトなど、被写体を緻密に作り込む、場を作り上げるという方向へまずエネルギーが注がれる場合が多いのも韓国写真の特徴と言えるだろう。

Ji Hyun KWON, “THE GUILTY - MAUREEN,” 2011 「あなたには絶対知らせなかったこと。」 ?Ji Hyun Kwon

Ji Hyun KWON, “THE GUILTY – MAUREEN,” 2011
「あなたには絶対知らせなかったこと。」
ⒸJi Hyun Kwon

Ji Hyun KWON, “THE GUILTY ? LU JIA,” 2011 「すべてに言い訳をして、自分をコントロールすることを学ばなかったこと。」 ?Ji Hyun Kwon

Ji Hyun KWON, “THE GUILTY – LU JIA,” 2011
「すべてに言い訳をして、自分をコントロールすることを学ばなかったこと。」
ⒸJi Hyun Kwon

Ji Hyun KWON, “THE GUILTY - LAURE,” 2011 「私は人生からも、誰からも、現在も過去からも何の得もしていない。だからすべてが恐ろしい。恐ろしくない唯一のものは死ぬ事。なぜなら、死んでしまえば、恐怖は残らないから。」 ?Ji Hyun Kwon

Ji Hyun KWON, “THE GUILTY – LAURE,” 2011
「私は人生からも、誰からも、現在も過去からも何の得もしていない。だからすべてが恐ろしい。恐ろしくない唯一のものは死ぬ事。なぜなら、死んでしまえば、恐怖は残らないから。」
ⒸJi Hyun Kwon

Ji Hyun KWON, “THE GUILTY ? DAEHEE,” 2009 「自分が長男であること。」 ?Ji Hyun Kwon

Ji Hyun KWON, “THE GUILTY – DAEHEE,” 2009
「自分が長男であること。」
ⒸJi Hyun Kwon

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Choi Byoung Cheol, The Ice Head series ?Choi Byoung Cheol

Choi Byoung Cheol, The Ice Head series
ⒸChoi Byoung Cheol

E Honjoon, “Royal Tombs” ?E Honjoon

E Honjoon, “Royal Tombs”
ⒸE Honjoon

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

LEE Seung Hoon, “On Plastic Surgery #06,” 2011 ?Lee Seung Hoon

LEE Seung Hoon, “On Plastic Surgery #06,” 2011
ⒸLee Seung Hoon

LEE Seung Hoon, “On Plastic Surgery [O.R.]#25,” 2010 ?Lee Seung Hoon

LEE Seung Hoon, “On Plastic Surgery [O.R.]#25,” 2010
ⒸLee Seung Hoon

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年、2014年のソウルフォトにて当館学芸員・田村が行ったポートフォリオ・レビューをきっかけにヤング・ポートフォリオに応募し、残念ながら選ばれなかったという作家たちや、過去のYP作家イ・ドンウク(LEE Dong Wook) の新作 “WOZU”(本人に会ったのも初めて)をレビューすることが出来た。YP2014では選考されなかった作家たちも、非常にポジティブで、再度必ずチャレンジすると意欲満々。そして、イ・ドンウクは「実は10年前からこういう作品を撮りたかったが、当時はできなかった。」と本人が語るとおり、YPにて収蔵した作品を“原点”とすれば、そこから大きくジャンプし、スケールの大きさとクオリティを感じる作品に作家としての大きな成長を見ることができた。

LEE Dong Wook, "My own fantasy," 2005 ?Lee Dong Wook

LEE Dong Wook, “My own fantasy,” 2005 (2003年度YP収蔵作品) ⒸLee Dong Woo

LEE Dong Wook, "My own fantasy," 2006 ?Lee Dong Wook

LEE Dong Wook, “My own fantasy,” 2006
ⒸLee Dong Wook

 

 

 

 

 

 

 

 

 

LEE Dong Wook, “WOZU 04,” 2012 ?Lee Dong Wook

LEE Dong Wook, “WOZU 04,” 2012
ⒸLee Dong Wook

LEE Dong Wook, “WOZU 12,” 2014 ?Lee Dong Wook

LEE Dong Wook, “WOZU 12,” 2014
ⒸLee Dong Wook

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

YP作家イ・ドンウクと

レビュー会場にてYP作家イ・ドンウクと

 

 

最後に、ポートフォリオ・レビュー終了後に行われたレビューワーの投票で、最も多く票を得た4人の作品をご紹介する。2016年のテグ・ビエンナーレにおいて、彼らの作品が展示されるので、ぜひ会場に足を運んでみてはいかがだろうか。今後2年をかけて制作することができるので、さらなる展開が見られる可能性もある。

 

 

 

GWON Do-yeun, “Traveller Nonvice_03” ?Gwon Do-yeun

GWON Do-yeun, “Traveller Nonvice_03”
ⒸGwon Do-yeun

YOON Ami, “Borrowed story,” 2013-14 ?Yoon Ami

YOON Ami, “Borrowed story,” 2013-14
ⒸYoon Ami

Curator’s Choice #1

ヤング・ポートフォリオの出発点「25人の20代の写真」

清里フォトアートミュージアム 主任学芸員 山地 裕子
 1995年7月、併設の宿泊施設のグランド・オープニングと共に開館した清里フォトアートミュージアムの開館記念展は「25人の20代の写真」だった。文字どおり、25人の写真家の20代の作品をそれぞれ5点ずつ、合計125点を展示した。
開館前の準備室において、清里フォトアートミュージアムの三つの基本理念に基づいた展覧会として何が望ましいのかを、5名の美術館設立準備委員(浅井栄一委員、荒井宏子委員、澤本徳美委員、松本徳彦委員、細江英公館長)に議論していただき、館の活動のなかで、最もヴァイタルなものとなるであろう「若い力の写真:ヤング・ポートフォリオ」を具現化することに主眼をおいた。
これから館が始めようとするヤング・ポートフォリオ、すなわち現代の若い写真家たちを「美術館による作品の購入」によって刺激し、激励するためには、日本写真界の第一線で活躍する現存作家の20代の作品を展示することがベストであろう。しかも、それらの作品はすべてパーマネント・コレクションとして収蔵すると決定された。

25人の作家選定にあたっての条件には、下記の4点が挙げられた。
1)現存作家であること。
2)第二次世界大戦後に20代を迎えた人であること。(終戦時に30歳未満)
3)30歳未満に撮影し、あるいは発表した当該作品が本人にとって重要な作品であり、かつ一般にもインパクトを与えたものであること。
4)当該作品のネガが現存すること。

「25人の20代の写真」展フライヤー 会期:1995年7月9日?10月22日
 細江英公館長は、戦後の日本を代表する写真家であるだけでなく、教育者でもある。まずは優れたオリジナル・プリントを見ることが第一歩と、世界の優れた写真を日本で展示し、写真芸術の多様性や魅力を長年にわたり紹介してきた。1980年代初頭から日本国内にも写真美術館を設立しようと世に訴えた写真家のひとりであり、また日本の写真家として、世界各国で最も広く展覧会が開催され、高い評価を受けている写真家である。

これら「25人」の写真家の20代当時には、日本に写真美術館は存在しておらず、写真専門美術館としては、東京都写真美術館の1990年の開館を待たなければならなかった。それ以前には、川崎市民ミュージアム(1988年)、横浜美術館(1989年)などが写真部門を持つ美術館として開館している。
すでに長年のキャリアを持つ作家の作品が美術館に収蔵される場合、初期またはデビュー作よりも後年の代表作が選ばれるケースが一般的だろう。そこで、清里フォトアートミュージアムが特徴としたのは、作家のいわば「原点」となる作品を収蔵したところである。なぜあえて原点なのかという点は、作家としての細江館長の体験が大きいだろう。

「25人の20代の写真」展 展示室
 作家として最も誇りと思えること、次なる制作へのエネルギーの糧と変わることとは何か ?それは、発表した時に作品が購入されることなのである。若手であればなおさらである。大きな賞を受賞して、キャリアを積んでから、代表作を美術家が収蔵するという形ではなく、私立の美術館なら、もっと作家と相互に、またタイムリーに活性化できる関係でいることが可能なのではないか。その形を探った結論が、「ヤング・ポートフォリオ」だった。

「25人」の作品に勝るとも劣らないエネルギッシュな作品を、ヤング・ポートフォリオに見いだしたいという、私たちの希望も込められている。あれから19年。その希望が叶ったのかどうかを確かめる最高の機会が、いよいよこの8月に訪れようとしている。

「25人」の作家には、これまで、毎年どなたかにヤング・ポートフォリオの選考委員となっていただいた。「25人」の方々が一巡した後に、新たに選考をお願いした作家も含めて、これまで35人に選考委員をお願いしてきた。選考委員の全員が現役の写真家であることも大きな特徴となっている。長年活動してきた故に、若い作家の道程が手に取るようにわかる。作品に込められた思いを受け止め、尊重しつつ、約6000枚の作品から購入作品を選考する。

1995年度(第一回)ヤング・ポートフォリオ選考委員
森山大道氏、故・横須賀功光氏(1995年10月6日)

「25人の20代の写真」展 展示室
 毎年、ヤング・ポートフォリオ展では、前年度に購入した作品を展示する。と同時に、その年度の選考委員の30歳前後の初期作品=“ヤング・ポートフォリオ時代”の作品を展示している。そして、この8月に東京都写真美術館・地下展示室で開催する清里フォトアートミュージアム開館20周年記念「原点を、永遠に。」展では、「ヤング・ポートフォリオに選ばれた現代作家」作品と「35人の選考委員のヤング・ポートフォリオ」の併せて約500点を、同時に展示することを考えている。今回は、同じ展示室内にて両者の対峙を見ることができる初の機会となるのだ。国も、時代背景も写真器材も異なり、唯一作家の撮影時の年齢だけが共通項というユニークな展覧会になるはずだ。
 20代は、誰もが自分が何ものになっていくのかも見えず、どこに行くのかも不確かに感じているだろう。たとえコンテストで一度認められたとしても、今度は、そこから次に進む怖さも壁として立ちはだかる。だが、ヤング・ポートフォリオでは、35歳以下ならば、何度でも新たな挑戦をすることができる。繰り返し応募することによって、そのチャレンジが、一流の写真家の客観的な目にさらされ、その評価に耐えられれば、自信を持ってGO(青信号)だという判断も得られる。つまり、ヤング・ポートフォリオでの初めての収蔵は、次の新たな挑戦へのエールとなのだと思っていただきたい。ヤング・ポートフォリオは、結果にかかわらず繰り返し応募いただくことを前提としており、若者が35歳までという限られた時間を有効に使うためのシステムなのである。
ヤング・ポートフォリオのヴィジョンのひとつである連続応募・連続購入システムは、十分に革新的なものと言えると思うが、もうひとつのラディカルな点は、先に述べたように、そもそも作家が展覧会や受賞で業績を残し、美術館はその評価を見定めたうえで代表作を買い上げるという順序を全く逆回転させるという点である。若手作家の短い略歴に「コレクション:清里フォトアートミュージアム」と一行が入ることは、大きな意味を持ってくる。たとえ受賞歴がなくても「作品が購入された」という事実は、プレゼンテーション能力や写真作家としての視野の広さ、真摯な姿勢が、ギャラリーやコレクターにアピールするだけでなく、写真家として仕事をする上でも追い風になることは間違いない。
実は、学芸員自身も最初からその先見性が見通せていたわけではない。しかし、徐々にはっきりと見えて来て、発案者である細江館長の見識の深さに心を動かされ、募集から収蔵・展示に関する膨大な仕事を、今日まで続けている。スタッフは、他の企画展などを開催しながら、前年度購入のヤング・ポートフォリオの展示作業を終えた瞬間に、次の応募の準備に入る。さらに、会期中のレセプションやギャラリートークを入れると、1年以上が経過するというスケジュールで動いている。
「既成概念を打ち破る。」「良く勉強して、世界中の誰もやっていないことをやる。」は、細江館長の口癖である。写真家として、また写真美術館館長としての、この類希なる情熱がヤング・ポートフォリオに込められていることが少しでもご理解いただけただろうか。この情熱に呼応してくれる若者を世界中に求めて、私たちはこれからも発信して行かなくてはならないと思っている。

1995年度(第一回)ヤング・ポートフォリオ展レセプションにて、永久保存証書を手渡し、握手する細江館長と小林キユウ氏(1995年10月28日)

海外向けヤング・ポートフォリオ・フライヤー(2013年制作)
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