館長ご挨拶 Message from the Director
清里フォトアートミュージアム開館にあたって 館長 細江英公
平成7年7月9日、清く澄んだ大気と深い緑に包まれて、「清里フォトアートミュージアム」が誕生しました。私たちは、この清里から日本国内はもちろん、広く世界に向けて、限りない写真への愛と尊敬のメッセージを送り続けていきたいと思います。
かつて清里は、桑畑が広がるおかいこ(蚕)さまの土地でした。絹を生み出すまゆ(繭)は、かいこが羽ばたくまでさなぎ(蛹)を守ります。「ミュージアム」もまた、生命を宿した作品のために、あたたかくて堅牢な「まゆ」とならん、と念願しています。
ご挨拶にかえて、この「ミュージアム」が備えているいくつかの特色について、ご説明したいと思います。それは従来の写真美術館に比べ、ずいぶん違ったものであると自負しています。
清里フォトアートミュージアムは、三つの基本理念にもとづいて展示・収集活動を行っています。1)いのちあるものへの共感 、2)永遠のプラチナ・プリント、 3)若い力の写真:ヤング・ポートフォリオ、それぞれの理念について、館長の細江英公よりみなさまにご説明いたします。下記のボタンをクリックしてご覧ください。
細江館長による三つの基本理念・動画5分
1. 生命(いのち)あるものへの共感
私たちは、生命あるものへの限りない共感をたたえたいっさいの作品に、その場所を提供します。客観性を重視したドキュメンタリーもあれば、写真家が自らの内面の主観性を重視する作品もあります。人間を写したものも、花鳥風月を写したものもあるでしょう。被写体や技法がどんなものであれ、あるいは表現媒体が「銀塩」であれ、「電子」であれ、それらが生命を慈しむものであるなら、私たちは、それらの作品に大きく門戸を開きます。
20世紀およびそれ以降の作品の収集
私たちは1900年を起点として、20世紀およびそれ以降の作品を中心に収集します。
私たちは、常に基本理念であるところの「生命あるものへの共感」に則して、美術館の活動を推進することを重視し、作品収集の基準については、必ずしも写真史的評価や分類にはとらわれません。
そこで、写真術の誕生から今日に至る150数年の写真表現史は尊重しますが、あえて19世紀の作品については、プラチナ・プリントを除いて、技法の変遷に伴う写真の歴史の解説に必要な作品のみを収集の対象としたいと考えています。
さらに、日本はもちろんですが、世界各国の写真に門戸を広げたいと考えます。たとえば、いままでは欧米で編纂された写真書及び写真の歴史書などは、ややもすると西ヨーロッパや北アメリカの作品に集中しがちでした。しかし、私たちは、東アジア、東南アジア諸国、オーストラリア、ニュージーランド、インド及びその周辺の国々、中央アジア諸国、中東諸国、東ヨーロッパ諸国、ロシア及び旧ソ連邦の国々、スカンジナビア諸国、中南米諸国、アフリカ諸国などの、さまざまな国の多様な写真表現に向けて、目を開いていきたいと考えています。
2. 永遠のプラチナ・プリント
第二の柱。私たちは、プラチナ・プリントの古典作品と現代作品を、国内および海外から広く収集します。
自己の神秘的な気品を奥深く秘め、時間にも風雪にも耐えて、容易に化学的変化を受け付けない貴金属のプラチナと一体化した写真画像のプラチナ・プリント。その技法が発表されたのは、1859年のイギリスでした。しかし実用化には、さらに20年を要し、1879年の公表後、プラチナ・プリント特有の階調の豊かさ、優美な色調、画像の長期保存性は、またたく間に当時の真摯な写真家たちを魅了しました。
しかし、第一次世界大戦時のヨーロッパではプラチナは貴重な軍需品であり、装飾品や写真に使うなどもってのほかだと非難され、また、いまでは一般に広く使われているゼラチン・シルバーの印画紙が、大量生産によって安価に入手できるようになったことも重なって、プラチナ・プリントは、ほとんど忘れ去られてしまいました。
1970年代に至って、アメリカの一部の写真家がかつての技法を復活させ、プラチナ・プリントに現代的な息吹を与えたことで、プラチナ・プリントは救われました。
私たちは、まずプラチナ・プリントの比類ない優雅さと美しさに、そして、その優れた長期保存性に着目しました。写真の表現技術を取り巻く科学・技術の環境は、これまでも大きく変化し、これからも変化し続けるでしょう。
私たちの関心は、単に新しい技術や表現だけに偏るものではありません。歴史の試練に耐えながらも、消えてしまうかもしれない貴重な表現技術を蘇生させ、再評価し、継承、発展させていきます。
3. 若い力の写真:ヤング・ポートフォリオ
第三の柱。私たちは、写真に情熱を燃やす青年と出会い、作品を購入し、永久コレクションとして後世に伝えたいと考えています。
あらゆる芸術の分野において、時代を超えようとする作品は、ともすると白眼視され、あるいは無視され、退けられてきました。現在でも、多くの美術館では評価の定まった作家の作品だけを収集しているといえるでしょう。しかし、いまだ確かな評価の得られぬまま、完成への途上で苦しみ闘っている青年たちの作品こそ、未来への資産であり、時代を切り拓く力を秘めているのではないでしょうか。
私たちは、「作品の収集」を通して、そうした青年たちを励ましたいと考えました。年齢が35歳未満であれば、アマであれプロであれ、国籍、性別を問わず、作品が未発表であれ既発表であれ、応募資格に制限はありません。毎年、募集・選考を行います。
写真に対する青年の情熱と勇気に期待しています。
最後に、美術館は収集・展示を行うだけでなく、作品を保存し、後世に引き継いで行きます。小さな美術館ではありますが、誠実にこの役割を果たして行くことこそが基本的な使命だと思っています。写真の持つ豊かなふくらみ、それをお互いに共感し合いながら私たちは歩んで行きたいと思います。清里フォトアートミュージアムは、写真のために、写真家のために生きている美術館ですから。
美術館では、写真家の眼がとらえた森羅万象の世界、そして彼らのクリエイティ ブな表現を通して、写真に親しんでいただきたい。そのために、展覧会はもちろん、ワークショップやチャリティ・イベントの開催、国内外における巡回展など幅広く展開しながら、地域へ、そして世界へと、写真の魅力を発信してまいります。みなさまのご来館を心よりお待ちしております。
1933年、山形県米沢市に生まれ、東京で育つ。1951年富士フォトコンテスト・学生の部最高賞受賞をきっかけに、写真家を目指す。1956年「東京のアメリカ娘」で初個展。1959年、東松照明、奈良原一高らとともに写真家によるセルフ・エージェンシー「VIVO」を結成、戦後写真の転換期における中心的な存在となる。エロスと肉体というテーマを正面から取り上げた『おとこと女』(1961年)、三島由紀夫を被写体にバロック的な耽美空間を構築した『薔薇刑』(1963年)、また舞踏家・土方巽を被写体に東北地方の霊気と狂気の幻想世界を創出した『鎌鼬』(1969年)など、特異な被写体との関係性から紡ぎ出された物語性の高い作品を次々と発表した。海外でも数多くの展覧会が開催される一方で、国内外でワークショップをはじめとする写真教育やパブリック・コレクションの形成等、社会的な活動にも力を注いだ。2003年「生涯にわたり写真芸術に多大な貢献をした写真家」として、英国王立写真協会より創立150周年記念特別勲章を受章。主な写真集に、『抱擁』(1969年)『ガウディの宇宙』(1984年)『細江英公の写真絵本[妖精物語]ルナ・ロッサ』(2000年)などのほか、近年には2005-06年の自伝三部作『ざっくばらんに話そう・私の写真観』『なんでもやってみよう・私の写真史』『球体写真二元論・私の写真論』『胡蝶の夢・舞踏家 大野一雄』(2006年)の他『死の灰』(2007年)、「人間ロダン」(2008年)など新作を発表。2011年には戦後日本の経済成長を支えた企業家を撮影した『気骨 われらが父、われらが祖父』を上梓した。2007年、写真界のアカデミー賞といわれるルーシー・アワード(米)のビジョナリー賞を日本人として初受賞。2007年、旭日小綬章、2008年、毎日芸術賞を受賞。2009年、イタリアのルッカ・デジタル・フォト・フェストにてマスター写真家賞が贈られたほか、2010年にはナショナル・アーツ・クラブ(米)より写真部門の生涯にわたる業績賞を日本人で初めて受賞。同年文化功労者として顕彰された。東京工芸大学名誉教授、1995年より清里フォトアートミュージアム館長。