CURATOR’S CHOICE Toggle

YPOBインタビュー「あれから、これから」#1: 山口理一

清里フォトアートミュージアム学芸員 山地裕子


KMoPAは、昨年開館20周年を迎え、90年代に作品を収蔵したYP作家は現在40代後半。それぞれの世界で活躍しています。KMoPAにとって、“YPOB”の活躍は最も嬉しいことであり、私たちは今後もYPOBの活動に注目して参ります。

開催中の「2015年度ヤング・ポートフォリオ」展。チラシや小冊子を例年のように制作いたしましたが、この春は、印刷会社のご担当に新しい顔ぶれがありました。プリンティング・ディレクターとして御担当くださったのは、なんとYPOB。2003年と05年に大型の作品を収蔵した山口理一さんだったのです。

山口理一《110305》2003年 (発色現像方式プリント、64.9×89.8cm、当館蔵)

山口理一《110305》2003年
(発色現像方式プリント、64.9×89.8cm、当館蔵)ⒸRiichi Yamaguchi

山口さんは、1971年生まれ。1991年に渡米し、School of Visual Arts(NY)を卒業後、写真家・杉本博司氏のアシスタントを6年間つとめ、2004年に帰国。トーキョーワンダーサイトを経て、現職のプリンティング・ディレクターとなられました。ところが、山口さんは、フルタイムで印刷会社に勤務しながら毎年新作を内外の展覧会で発表しています。これは容易に出来ることではありません。山口さんに、アメリカ滞在中に目覚めた写真への興味、現在も継続して制作するエネルギーの源は?現在のYP作品について思うことなどをインタビューしてみました。

* * *

K’MoPA:山口さんの作品を最初にYPで収蔵したのは2003年度でしたが、この作品はニューヨークに滞在中の作品ですね。YP応募の理由は?

日本人の同僚から聞きました。当時、実験的な試みとして裸体のシリーズを撮り始めたところで、作品についての客観的な評価が知りたくて応募しました。美術館に収蔵されることは、たとえ評価の定まらない作家であろうと「殿堂入り」には違いありません。そういった意味でも、収蔵されたことが大きな励みになったと記憶しています。

K’MoPA:応募した全作品の中から数枚が選考されたかと思いますが、その選択についてどう思われましたか?

選考された作品について、審査員が何を感じ取ったのだろうと考えました。それが視覚的なインパクトなのか、現代アート的な特徴なのか、私が意図しないような文脈だったのか。選ばれた写真の持っていた作品の意味を自分なりに噛み砕き、その後の作品にも反映させることができたように思います。

K’MoPA:初めて買った写真集を覚えていますか?

アンセル・アダムスの『The Negative』です。写真集というよりも、アダムスの風景写真の撮影場所や天気、露出や現像方法などが仔細に説明されている本です。

アンセル・アダムス著、The Negative、1957年

アンセル・アダムス著、The Negative、1957年

私が写真に興味を持ったきっかけは、アメリカ西海岸の大学で受けた地理学の授業でした。地層や雲をスライド用フィルムで撮影するという課題が出て、生徒がスライドを見せ合いながら先生がレクチャーをするという内容でした。フィルム撮影だったので、自分ではうまく撮ったつもりでも現像してみたら真っ黒という結果もしばしば。現像代やフィルム代が無駄ですし、少しは撮影の技術を身につけようと、ある日書店で手にしたのが『The Negative』でした。その時に感じたアダムス作品の現実離れした美しさは今でも忘れられません。

K’MoPA:山口さんの作品が収蔵されたのは2003年度、2005年度YPでした。山口さんの初期作品の時代は、振り返ってどんな時代でしたか?

その頃は、ニューヨークの美大を卒業して、写真家の杉本博司氏のアシスタントをしていました。自身の作家活動としては、卒業後はしばらく家に篭って静物写真の作品を作っていましたが、これといった成果もなく、ふと気がついたら30歳が目前に迫っていました。年齢的な焦りかもしれませんが、せっかくニューヨークにいるのだから、もっと積極的にいろいろな文化の人と関わりたいという想いが強く芽生えてきました。そして、自分の作風が変化することを期待して、人の写真を本格的に撮り始めることになったのです。

K’MoPA:杉本博司氏のスタジオでは、暗室でプリンティングもされていたそうですが、杉本さんから学んだこと、または最も影響を受けたことは何でしたか?

杉本氏のスタジオでは、全てを可能な限り自分たちの手で作り上げていきます。現像やプリント、仕上げのスポッティングや裏打ちはもちろんのこと、大がかりなスタジオスペースの改修なども外注せず、杉本氏が数名のアシスタントと一緒に作業します。 杉本氏は、若い頃に大工仕事をやっていた経験もあり、「ものづくり」においての職人的な部分をとても大切にしていました。事務所の移転時には、丸一年間、朝から晩まで全身おがくず、ペンキまみれになって広大なスタジオの大工仕事をしました。業者を雇って既製品を買い揃えれば1ヶ月で終わる作業ですが、収納棚や暗室、作業台など、使い易さを徹底的に考え抜いて、時間をかけて作り上げていったのです。「神は細部に宿る」という建築家のことばがありますが、そういった細部をおろそかにしない姿勢が杉本作品の根底にあると感じました。

山口理一《A Sense of Detachment》(無関心の感覚)

山口理一《A Sense of Detachment》(無関心の感覚)2004 ⒸRiichi Yamaguchi

K’MoPA:山口さんの作品には、複数の人間が折り重なる非日常的なシーンが多いですね。作品を見る側は衣服を着ているにも関わらずソワソワしてしまうような、独特の居心地を感じます。ご自身の写真を短く表現するとしたら?

裸体のシリーズを撮り始めてから、舞踏家やダンサーの動きを見る機会が増えました。そして、ふと冷静になって考える瞬間があります。彼らの身体の中に充満しているエネルギーって何なのだろう、と。最新のシリーズ“Transcending Our Limitations”では、人が生得的に持っているエネルギーに焦点を絞って制作してみました。

山口理一《Transcending Our Limitations》(我々の限界を超える)

山口理一《Transcending Our Limitations》(我々の限界を超える)2015 ⒸRiichi Yamaguchi

 

山口理一《Transcending Our Limitations》(我々の限界を超える)

山口理一《Transcending Our Limitations》(我々の限界を超える)2016 ⒸRiichi Yamaguchi

K’MoPA:印刷の仕事は大変お忙しいことと思いますが、山口さんは、作品制作を継続し、東京や北京のギャラリーでの展覧会や、イタリアのウェブサイト上で作品を発表されていますね。仕事と作家活動を両立させ、エネルギーを保つことは簡単ではないと思いますが、いかがですか?

確かに印刷の仕事は忙しいです。例えば化粧品会社の販促ポスターにしても写真集にしても、一度印刷して世に出たら二度と訂正はできないので、印刷直前までいろいろな確認・修正作業が続きます。締め切りまでの作業に追われるという意味では忙しいです。 当然、時間的な制約も大きいので、作品制作については「真剣に打ち込める趣味」という意識で取り組んでいます。ただ、写真の活動で得た知識や経験は、現職のプリンティング・ディレクターの仕事で大いに役立っています。言うまでもなく写真と印刷は密接な関係ですし、更にいえば一緒に仕事をするデザイナーや編集者から自分の写真活動に活かせるヒントを与えてもらうこともあります。仕事の領域とアマチュア活動の領域が重なっているので、バランスを保ちながら制作を続けていけるのだと思います。

K’MoPA:現在、作品制作において、最も大切にしていることは何ですか?また、ご自身はこれからどんな方向に向かっていくと感じていますか?

写真家・ダイアン・アーバスは生前「カメラとは、免許書(ライセンス)のようなもの」と言っていたそうです。写真家は、見知らぬ人に「写真家なので一枚撮らせもらってもいいですか?」と話しかけることが許されているということです。つまり写真を撮るという行為が他者とダイレクトに関わるきっかけになり得るということですね。私の場合も、撮る対象をモノから人に変えてから個性豊かな人たちと知り合うようになりました。例えば、撮影にモデルとして協力してくれた人たちが、実は亡命者、アダルトビデオ俳優、男女両方の性の特徴を持つ半陰陽だったり。彼らの生き方を知って、とても驚かされました。今後はそういった人物の内面に迫った作品も制作していきたいと思っています。

山口理一《A Sense of Detachment》(無関心の感覚)

山口理一《A Sense of Detachment》(無関心の感覚)2001 ⒸRiichi Yamaguchi

K’MoPA: 2015年度YPの作品をご覧になられましたが、どのような印象を持たれましたか?ご自身のYPの時代と比べると、現在は何が最も大きな変化と感じますか?

10数年前は印画紙が主流だったの対して、インクジェット出力が多いという印象を受けました。ほとんどの作家はデジタル環境で作業しているということですね。 カラー印画紙に焼いていた時代は、コントラストは3段階(低/標準/高)しか選べませんでしたが、デジタル環境ではさまざまな表現が可能となります。色やコンントラストを調整することで、自分のメッセージをより効果的に伝えることができます。色彩の表情が豊かになっているという印象を受けました。 もうひとつは出力用紙。印画紙タイプの用紙が大半で、風合いのある用紙が少なかったようです。デジタル環境では、使える用紙の幅も広がります。例えばインクジェット出力の場合、和紙風の用紙や布などにも印刷することもできますし、作家の狙いに合った用紙を選ぶというのも面白いかもしれません。一つだけ確かなことは、どれだけデジタル時代となろうとも、モニター上のイメージと写真作品は物質感という意味で全く別物だということです。

K’MoPA:YPの後輩たち、またはKMoPAに対して何かメッセージがありましたら、お願いいたします。

アマチュアとして写真を続ける人にとっては「どうすれば自分の写真が(世の中の人にとって)見るに値するような作品になるのか?」と自問しながら制作を続けていくことが大切だと思っています。アマチュアは何をやっても「自由」なので独りよがりになりがち。共感を得られるかどうか、美しいと感じられるかどうか、作品の価値は、他者から与えられるもの。やはり第三者に作品を見てもらう機会が重要だと思います。今後KMoPAが、積極的にポートフォリオレビューなどの機会をつくっていけば、ますます日本の写真水準が高まっていくのではないでしょうか。

* * *

仕事と作家活動の両立 ? 多くの人が同じ悩みを抱えていると思います。自身を“アマチュア”と呼ぶ山口さんは、仕事と作家活動との境界を軽やかに往来しているようです。ラッシュ時のホームでインスピレーションを得たり、撮影のためのモデル探しなど、作品制作に必要な作業も時間の使い方次第。自らの内奥と現実世界を行きつ戻りつしながら、複数のピースを合わせてひとつのイメージに繋げ、仕上げて行く。最終的に完成させるまでには、忍耐とエネルギーが必要ですが、そこは少し時間をかけて熟成させることもできる。年齢を重ねると、作品を作ることの楽しみ方も意味合いも変わってくるようですね。アマチュア精神を持ち続けた写真家といえば植田正治やジャック=アンリ・ラルティーグですが、ウィン・バロックのようにプロの音楽家から趣味の写真を経て写真家となったように、後年になって花開くケースもあります。いずれにしても「表現者で有り続けるという生き方」は一人一人違って当然。ゆるやかに、そして自在に制作を続ける今後の山口さんの作品がどのように展開していくのか、大変楽しみです。 山口さんは、今月5/28(土)のYP公開レセプションにも出席されます。YPOBとして、そして印刷を担当したプリンティング・ディレクターとして。ぜひ世代やお仕事の境界を超えて皆様と交流されることを期待しています。

フレデリック・エヴァンズ《階段の海》

清里フォトアートミュージアム 学芸員・山地裕子


現在開催中の井津建郎「インド ー 光のもとへ」展では、冒頭にて井津建郎のプラチナ・プリント作品を展示しています。井津が、石造遺跡の撮影を始めたころ、偶然に写真家ポール・ストランドのプラチナ・プリント作品を見て、その色調や繊細なモノトーン表現が、自身の世界観に向いていると感じたことから手がけるようになったそうです。そこで、今回は、プラチナ・プリントの“古典”のなかから、フレディック・エヴァンズの名作《階段の海》をご紹介したいと思います。

 “A Sea of Steps”Wells Cathedral, Steps to Chapter House, 1903 プラチナ・プリント

“A Sea of Steps”Wells Cathedral, Steps to Chapter House, 1903 プラチナ・プリント

自らも文章家であり、オーブリー・ビアズリーやバーナード・ショーなどと親交を持ち、人気の書店を経営していたフレデリック・ヘンリー・エヴァンズ(イギリス、1853-1943)。教会建築を愛し、その美を撮影することに専念するため、エヴァンズは47歳で建築写真家へ転身します。 聖堂内部の石積みの長い階段が、柔らかな光を纏い、波打ち際のように美しい濃淡を見せています。その様子は、まさに「階段の海」。ずうっと奥の扉まで、見る角度によって、ひと続きのように見える階段のうねりと光のヴェールが、写真家の心を掴んだのでしょう。そして、プラチナ・プリント技法は、この微妙なグラデーション表現に最も適しており、滑らかな濃淡の中にも、一段ごとのハイライトが立ち上がるよう、光を正確に描き出すことに成功したのです。この作品は、完璧な美を求めたエヴァンズの代表作とされています。  20160716175409-0001当館では、エヴァンズの作品を33点収蔵していますが、残念ながら、当館では当該作品を収蔵していないため、当館蔵書の”Frederick H. Evans” (Baumont Newhall著、An Aperture Monograph)からのご紹介です。

Frederick H. Evans, Westminster Abbey, Chapel of Henry VII Bronze Tomb, south side of, 1911-12

Frederick H.Evans, Westminster Abbey, Chapel of Henry VII Bronze Tomb, south side of, 1911-12

エヴァンズの作品は、これまで定期的に開催するプラチナ・プリント収蔵作品展にて展示して参りました。写真は、その中の一点、《ウエストミンスター・アベイ、ヘンリー7世礼拝堂、南側ブロンズ墓碑》1911-12年(イメージサイズ24.6×19.5㎝)です。 エヴァンズは、イメージを切り抜き、台紙に貼り付けているのがご覧いただけますでしょうか。台紙には、鉛筆で写真を囲む繊細なフレームを描き、作品によっては台紙に色を加えているものもあります。それぞれの写真、あるいは建築様式にふさわしい装飾として自ら施したのでしょう。 以前、あるギャラリーで、日本刀の鍔(つば)を撮影した数十枚のプリントを一冊に綴じたエヴァンズの作品を見たことがあります。限られたスペースの中に個々の異なる世界を彫り出すという精緻な技に魅せられたのでしょう。鍔は、日本の古美術としてイギリスで人気が高く、それらが市場に散逸する前にすべてを記録したのではないかと思います。美しい建築空間やすぐれた職人技を深く尊敬していたエヴァンズは、被写体が最も美しく見える光を纏わせ、その姿をプラチナ・プリントに残したのです。

Curator’s Choice #10

YP2015:イスラム国の被害を取材するフォトジャーナリストたち イスマイル・フェルドゥス、林典子 清里フォトアートミュージアム 学芸員 山地裕子

ベルギーで発生した連続テロから、早くも三週間が経過しました。次は何処が標的となるのか、イスラム国によるテロの脅威は、日々世界を震撼させています。開催中の「2015年度ヤング・ポートフォリオ」においても、2人のフォトジャーナリストが、イスラム国の犠牲者を取材した作品を展示しています。 同じテーマを取材する場合でも、写真家の視座はさまざまです。それぞれの行動スタイルやキャラクターに合った取材方法によってこそ力を発揮することが、2人の写真に表れています。

イスマイル・フェルドゥス《イスラム国に包囲されたコバニの住民》2014

イスマイル・フェルドゥス《イスラム国に包囲されたコバニの住民》2014 ⒸIsmail Ferdous

イスマイル・フェルドゥス《イスラム国に包囲されたコバニの住民》2014

イスマイル・フェルドゥス《イスラム国に包囲されたコバニの住民》2014 ⒸIsmail Ferdous

バングラデシュ出身のイスマイル・フェルドゥス(1989)は、2014年10月、イスラム国に砲撃されたシリアのクルド系少数民族であるヤズディ教徒を取材。シリア北部のアレッポ県コバニ市から追放され、難民となってトルコ国境を目指すヤズディ教徒数百人に同行し、撮影しています。彼らが自宅から持ち出せたものは、鞄ひとつ、赤ん坊を寝かせたバスケットひとつ、あるいは、背負える家族ひとり ?? 難民キャンプ内の子どもたちの眼差しはうつろで、深い絶望を伝えています。フェルドゥスによれば、トルコに入国したクルド人は30万人以上。しかし、クルド人が到着したとき、トルコの難民キャンプにはすでに85万人のシリア難民が避難していたとのこと。母国と我が家を突然離れざるを得なかった人々の、恐怖と失望の道のりに寄り添い、その状況を見事なスナップワークでとらえています。

イスマイル・フェルドゥス《イスラム国に包囲されたコバニの住民》2014

イスマイル・フェルドゥス《イスラム国に包囲されたコバニの住民》2014

イスマイル・フェルドゥス《イスラム国に包囲されたコバニの住民》2014

イスマイル・フェルドゥス《イスラム国に包囲されたコバニの住民》2014

一方、日本の林典子(1983)は、イスラム国兵士に誘拐され、命がけの脱出に成功した女性たちを、2015年3月イラクにて取材し、彼女たちの壮絶な体験を記録しています。女性たちは、頭から顔までスカーフを被っており、見えているのは目のみ。写真に付けられたキャプションからは、彼女たちが受けた虐待について、淡々と語る様子が浮かび上がる一方で、レンズを見つめる彼女たちの視線に圧倒されます。

林典子《ヤズディ》2015

林典子《ヤズディ》2015

YPでは2010年度より林典子の作品を何度か収蔵していますが、今回はこれまでの作品と少し異なる印象を受けました。この撮影が、厳しい条件下で行われたことは容易に想像できますが、その経緯について、また今後の取材について、本人にインタビューいたしましたのでどうぞご覧ください。

* * *

K’MoPA:今回ご応募いただいた作品は、全て女性の顔写真で、彼女たちは頭と顔に布を被り、目だけが見えていました。撮影に際して、彼女たちは、それを条件に許可を出したのでしょうか?

林典子:彼女たちの家族や親戚は、まだISIS(アイシス、Islamic State of Iraq and Syria)に拉致されたままです。本名を記録され、兵士に顔を覚えられているため、メディアの取材に応じていることがISISに知られると、家族に危害が加えられる(殺される)可能性があります。そのため、一部の女性を除き、目だけが見えるなら、という条件で撮影許可が得られました。

林典子《HIV/無音の世界に生きる?ボンヘイのストーリー》2009

林典子《HIV/無音の世界に生きる?ボンヘイのストーリー》2009 ⒸNoriko Hayashi

K’MoPA: ヤング・ポートフォリオでこれまで収蔵した林さんの作品は、2009年撮影の《HIV/無音の世界に生きる~ボンヘイのストーリー》をはじめ、《パキスタン:酸に焼かれた人生 セイダのストーリー》(2010年撮影)、《東日本大震災 - 混沌と静寂》(2011年)、そして現在も取材を継続しているという《キルギス さらわれる花嫁》(2012年)でした。今回のシリーズは、これまでの、現場に密着するドキュメント作品のイメージとは、少し異なる印象を持ちました。撮影のスタイルを変えたのか、どういう思いだったのでしょうか?

:今回YP2015で選んでいただいた写真は、全て顔だけのポートレートでしたが、基本的にイラクでも、従来同様、ドキュメントのスタイルで撮影しています。例えば、今回のチラシに載せていただいた、白いスカーフを顔に巻いた少女がいます。私は、彼女と一緒に難民キャンプで生活し、顔が分からないようにしながら、ずっと撮影していました。彼女はその後ドイツ南部に避難したのですが、2016年2月、新天地で生活している彼女に再会し、取材しました。また、女性以外にも、ある難民家族の日常を追ったり、風景なども撮影していますので、取材のスタイルは変わっていません。今回の応募はポートレイトだけとなったのですが、この女性たちについては、イラクからドイツに渡った先の新たな生活も取材しています。やっとまとまってきたような感じがしていますので、これから発表します。

林典子《パキスタン:酸に焼かれた人生 セイダのストーリー》2010

林典子《パキスタン:酸に焼かれた人生 セイダのストーリー》2010 ⒸNoriko Hayashi

林典子《キルギス さらわれる花嫁     前日に誘拐で結婚したアフマットとディナラ。結婚式のセレモニーで祈りを捧げる。》2012

林典子《キルギス さらわれる花嫁    
前日に誘拐で結婚したアフマットとディナラ。結婚式のセレモニーで祈りを捧げる。》2012 ⒸNoriko Hayashi

以前に収蔵していただいたキルギスやパキスタンでのシリーズについても、被害者の方たちのポートレートは多数撮影しており、今回のイラクも、インタビューをした女性たちのポートレートは必ず撮影するようにしています。全ての女性たちの日常を追い続けることは不可能ですが、一部の女性たちについては、一緒に生活しながら撮影します。

K’MoPA:今後も彼女たちの取材を継続される予定ですか?また、ISISの取材については、なんらかの形で発表をお考えでしょうか?

:はい。出来る限り続けて行きます。今後の写真展や本(単行本)の出版は決まっています。単行本ですと、掲載できる写真の枚数が限られているので、出来れば写真集を出したいなという希望があります。

* * *

女性同士という安心感もあるのでしょう。林典子は、時間をかけて信頼関係を作り、共に生活して、初めて見えてくる表情や言葉を丁寧に記録しています。キルギスや、イラクの女性たちを長期にわたって取材した結果、見えてくるものは何か  — ぜひ2016年度YPにも継続してご応募いただき、収蔵することができれば、既にコレクションしたシリーズに厚みを増すことができると思いますので、今後の作品に期待しています。また、フェルドゥスは、ダッカの鮮やかなストリート・スナップのシリーズを2011年度に収蔵し、翌年には、モノクロ表現によるシリーズを収蔵。現在は、バングラデシュを代表する新進フォトジャーナリストのひとりとして世界を舞台に活躍しています。今後のYPでもぜひご注目ください。

ShutDown